仏教における死後観には、輪廻転生が大きな位置を占める。
だって、ブッダは、輪廻の輪から抜け出すために、悟りを目指したのだ!
これに、科学は切り込んでいる。
現在、輪廻転生[1]に関する研究は、ヴァージニア大学医学部の「超心理学研究部門(Division of Perceptual Studies, DOPS)が一番盛んであると言われる。イアン・スティーヴンソン(Ian Stevenson, 1918–2007)が長年にわたり行った大規模調査[2]と、その後継者であるジム・タッカー(Jim B. Tucker)らの研究だ。紹介しよう。
スティーヴンソンは、40年以上にわたって「前世を記憶する子どもたち」の調査を続けた。彼が対象としたのは、2歳から5歳ごろの子どもで、自発的に「自分は以前どこに住んでいた」「こんな名前だった」「事故で死んだ」と語るケースである。彼はインド、スリランカ、ビルマ(現ミャンマー)、レバノン、さらにはアメリカでも数千件の事例を収集し、その中から約2,500例を詳細に報告した。
彼の調査はきわめて徹底していた(すごい!)
一般的解説書においても、彼の調査方法について詳しく説明し、どの点において不備があるかを、多方面から詳細に述べている。
例えば、前世の記憶を語る子供の発言について、生前の人格(魂、心と言ってもいい)は、新たな肉体に宿るが、新たな肉体環境に順応し、以前の記憶を無くしていくこと、さらに、輪廻を信じる、信じないなど周りの環境ににより、その記憶・発言が影響されることも指摘する。調査結果を鵜呑みにはしない。
子どもの発言を家族や近隣の人が聞く段階から記録を残し、その後に言及された「前世の人物」の存在を追跡する。実際に該当する人物がいた場合、その人の家族や知人から証言をとり、子どもの語った内容と照合する。さらに、子どもの身体に前世の死因と似た痣や奇形がある場合には医療記録まで調べた。
いろいろな症例が報告されているが、その中からいくつかの傾向が浮かび上がる。例えば、非業の死(水難事故、交通事故など)を遂げた人が生まれ変わった場合、その記憶が残っている兆候が見られる。水難事故で死んだ場合には、水に近づくことを異様に恐れる。

水に近づくことを恐れる(イメージ図、AI)
彼の代表的な著作『前世を記憶する子どもたち(Twenty Cases Suggestive of Reincarnation, 1974)』では、銃で撃たれて死亡した人物と、同じ部位に痣を持つ子どもの事例などが報告されている。こうした「記憶と身体痕跡の一致」は、偶然では説明しにくいと彼は論じた。
スティーヴンソンが科学者として偉いのは、「輪廻転生が実在する」と断定ないところだ。彼は「suggestive(示唆的)」という慎重な表現を用いた。
「通常の遺伝や学習では説明しがたい事例が存在する」とだけ記した。
この態度が、超常研究者としては異例なほど学界で一定の評価を受けた理由である。
このような謙虚な態度は、科学者には必要だ。データが出たら、すぐに妄想に駆られて言いすぎてしまう。自分にも何度かあった。ただ、経験から言うと、妄想を膨らました議論ほど、多くの人には受ける。みんな、「言い切る奴」が好きなんだ。困ったものだ!
しかし、批判も多い。
第一に、調査対象の多くは輪廻を信じる文化圏であり、家族や地域社会が子どもの発言を補強してしまう可能性がある。
第二に、記憶の一致は事後的に修正されたり、聞き手のバイアスが加わったりする危険がある。
第三に、検証が難しい事例も少なくなく、科学的再現性に欠けるとされる。
その後、スティーヴンソンの後継者であるジム・タッカー(Jim B. Tucker)が研究を継承し、特にアメリカの事例を中心に調査を続けている。タッカーは、子どもが前世を語る際に「飛行機事故」「戦争」など近代的な死因に言及するケースを紹介しており、文化的背景を超えて生まれ変わり現象が現れることを示そうとしている[3]。
日本にも、同様の立場で研究をする学者がいる。大門正幸[4]だ。彼は、対象を日本、アジア圏に広げ、文化的な背景の範囲を広げている。同時に、胎内記憶(出生前の記憶や体験)や宗教的死後観や倫理・死生観との関連を検討している。
(余談だが、ギターを弾きながら、歌うコンサートのユーチューブ動画もある)
これらの研究は必ずしも「輪廻転生の証明」を目的としていない。
「前世の記憶が現世に影響する可能性」、「説明の難しい記憶現象」として科学的に扱おうとしている。現状では、心理学的には「暗示」「潜在記憶」といった解釈、神経科学の観点からは「記憶の誤帰属」や「集合的記憶の取り込み」といった説明も可能だとされる。
それでもなお、数千件の事例が累積して「それだけでは割り切れない」という余地を残している。
彼らの研究の意味は、科学として「議論に値するテーマ」として現代に問いかけたところだろう。
とはいえ、いつまで経っても、終わらない議論だ。死んだらわかるかな?
さて、死後観をどうまとめよう。(それは、絶対に無理!)
単に私見だ。
きっと大切なのは、絶対に回答のない「死後に継続するのかどうか」、「輪廻転生があるかないか」などの問題ではなく、その死後観が我々の「生」をどう支えてくれるかのような気がする。
死後を考えることは、「死を前にしてどう生きるか」を問うこと。そんな気がする。
いまだに、答えを持っていないが、、、
[1] 研究している人たちは、後で述べるが、輪廻転生の研究とは言わずに、「通常の遺伝や学習では説明しがたい事例が存在する」と慎重な態度をとる。
[2] 色々あるが、一般的解説書として、イアン・スティーヴンソン著、笠原俊雄訳『前世を記憶する子どもたち』(角川文庫、2021年)(1990年に日本教文社より刊行された単行本を加筆・修正のうえ文庫化したもの)
[3] ジム・タッカー著、片山陽子訳『前世を記憶する子どもたち 驚異の実例集』(ナチュラルスピリット、2015年)
[4] https://researchmap.jp/ohkadomasayuki




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