12-1-1 瞑想

瞑想 始まり 仏教と科学の狭間で_2
瞑想 始まり

仏教を学んでいると、瞑想をしないと分からないことが多いと聞くし、またそう書いてある。
以前からそのことは気になっていた。

高野山大学の学友の人たちからは、

「瞑想すると、時々如来や菩薩とチャンネルがあって、交信できるの」

「瞑想によって、別の世界が見えてくる」

などと言われた。
仏教の本を読んだり、授業を聞いていると、

「言葉では、理解できない真理があり、瞑想によってそれは分かる」

みたいなことが書いてある。

そんなことで、仏教の学習も一段落した2025年の春から瞑想を始めた。

瞑想を教えてくれる良い場所も知らなかったし、また始めからあまりすごいこともできそうもない。
瞑想は独学でやるものではなく、適切な師に付いて行う必要があると書いてある。
まずは手軽だったNHKカルチャーの瞑想教室に通うことにした。
とはいえ、指導をしてくださる先生は、高野山大僧都の偉い方だ。


瞑想教室では、座り方、息の整え方、瞑想を始める前に唱える大日如来の真言、発菩提心の真言、三昧耶戒の真言を教えてもらう。先生は真言宗の僧侶の方なので、真言宗の瞑想法を行い、まず阿息観、阿字観、月輪観へと進んでいく。

月輪観に使うお軸
月輪観に使うお軸(NHKカルチャー)

瞑想を始めると、先生は、

「阿息観では、朝日の当たる清々しい、森の風景、その中にいる自分を思い浮かべてください」
「阿字観では、阿の字息を吐きながら、遠くへ遠くへ阿の字が飛んでいくように息を飛ばしてください」

などとアドバイスをくださる。
何も知らない私は、全くその通りに、言われたままにやる。
そこまではよかった。


実際、瞑想をやっていると、いろんな雑念が入ってくる。
日常的な雑念が湧いてくる。

「あの原稿を仕上げないといけないな」
「確か、明日の2時にAさんに会わなきゃ」

もっと現実的なのは
「明日の夕食は、刺身が食べたいな」
などなど、

「この状況はなんだ!今は瞑想をしているはずだ。何も考えないでおこう」
「いやいや、それは難しいから、朝の清々しい森を思い浮かべよう」
と思い直すが、それも束の間。

「明後日は、高野山大学に朝から行く予定だったな」
現実的な思いがどんどん浮かんでくる。
ひょっとすると、瞑想やっていない時より、多いかもしれない。

「なんだ。これは!」
「どうすれば瞑想はできるのだ」

何人かの学友に聞いてみた。

「まあ、雑念は浮かぶことはあるけで、瞑想なんてすぐできるよ」
「何も考えなければいいのよ」

いとも簡単に言ってくださる。
そんな簡単にできない!

「あなたたちは特殊なのだ」

心の中で叫んだ。


NHKカルチャーでは、瞑想の時間の後に受講生が疑問や感想を述べ、先生がそれに答えてくださる時間があるので、大僧都の先生に言ってみた。

「瞑想中、色々考えてしまうのです」
「時には、どうすれば瞑想できるのだと考えてしまいます」

そうすると先生は、
「それは、あなたがいつも考える仕事をしていて、そういう習慣が身についているからかもしれませんね」
とちょっと優しい言葉、

「でも、瞑想は雑念が出てこないように、心をうまくコントロールできるようになる必要があります」

と言われるが、ついつい心の中で言ってしまう。

「それが難しいのだ!」

見透かしたように先生は

「何度も、訓練してください。継続は力です」

ということで、週に3、4回の自宅での瞑想修行が始まる!

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