仏教を学んでいると、瞑想をしないと分からないことが多いと聞くし、またそう書いてある。
以前からそのことは気になっていた。
高野山大学の学友の人たちからは、
「瞑想すると、時々如来や菩薩とチャンネルがあって、交信できるの」
「瞑想によって、別の世界が見えてくる」
などと言われた。
仏教の本を読んだり、授業を聞いていると、
「言葉では、理解できない真理があり、瞑想によってそれは分かる」
みたいなことが書いてある。
そんなことで、仏教の学習も一段落した2025年の春から瞑想を始めた。
瞑想を教えてくれる良い場所も知らなかったし、また始めからあまりすごいこともできそうもない。
瞑想は独学でやるものではなく、適切な師に付いて行う必要があると書いてある。
まずは手軽だったNHKカルチャーの瞑想教室に通うことにした。
とはいえ、指導をしてくださる先生は、高野山大僧都の偉い方だ。
瞑想教室では、座り方、息の整え方、瞑想を始める前に唱える大日如来の真言、発菩提心の真言、三昧耶戒の真言を教えてもらう。先生は真言宗の僧侶の方なので、真言宗の瞑想法を行い、まず阿息観、阿字観、月輪観へと進んでいく。

瞑想を始めると、先生は、
「阿息観では、朝日の当たる清々しい、森の風景、その中にいる自分を思い浮かべてください」
「阿字観では、阿の字息を吐きながら、遠くへ遠くへ阿の字が飛んでいくように息を飛ばしてください」
などとアドバイスをくださる。
何も知らない私は、全くその通りに、言われたままにやる。
そこまではよかった。
実際、瞑想をやっていると、いろんな雑念が入ってくる。
日常的な雑念が湧いてくる。
「あの原稿を仕上げないといけないな」
「確か、明日の2時にAさんに会わなきゃ」
もっと現実的なのは
「明日の夕食は、刺身が食べたいな」
などなど、
「この状況はなんだ!今は瞑想をしているはずだ。何も考えないでおこう」
「いやいや、それは難しいから、朝の清々しい森を思い浮かべよう」
と思い直すが、それも束の間。
「明後日は、高野山大学に朝から行く予定だったな」
現実的な思いがどんどん浮かんでくる。
ひょっとすると、瞑想やっていない時より、多いかもしれない。
「なんだ。これは!」
「どうすれば瞑想はできるのだ」
何人かの学友に聞いてみた。
「まあ、雑念は浮かぶことはあるけで、瞑想なんてすぐできるよ」
「何も考えなければいいのよ」
いとも簡単に言ってくださる。
そんな簡単にできない!
「あなたたちは特殊なのだ」
心の中で叫んだ。
NHKカルチャーでは、瞑想の時間の後に受講生が疑問や感想を述べ、先生がそれに答えてくださる時間があるので、大僧都の先生に言ってみた。
「瞑想中、色々考えてしまうのです」
「時には、どうすれば瞑想できるのだと考えてしまいます」
そうすると先生は、
「それは、あなたがいつも考える仕事をしていて、そういう習慣が身についているからかもしれませんね」
とちょっと優しい言葉、
「でも、瞑想は雑念が出てこないように、心をうまくコントロールできるようになる必要があります」
と言われるが、ついつい心の中で言ってしまう。
「それが難しいのだ!」
見透かしたように先生は
「何度も、訓練してください。継続は力です」
ということで、週に3、4回の自宅での瞑想修行が始まる!




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