12-1-3 科学的思考・仏教的思考

科学的思考・仏教的思考 仏教と科学の狭間で_2
科学的思考・仏教的思考

瞑想について考える前に、これまで慣れ親しんできた科学的思考について、余り哲学的にならずに、まずはさらりと日常感覚で、考えてみる。
できれば、仏教的思考との比較から瞑想への入り口を見つけよう。

科学

科学は地を這う学問である。
どんな素晴らしい理論も、実験により実証されなければ認めてもらえない。
逆にいえば、実験で実証されているので、技術として成立する。
もちろん技術を確立する難しさ、実用化する難しさはあるが、例えば、見えない電波でも通信の手段として現在利用されている。
科学も時々間違えることもあるが、実証により検証されていく中で間違った考えは訂正されていく。

1つ例をあげよう。
音は波である。よって、空気を媒体として波が進行して、空気中で音が聞こえる。
光も波である。干渉実験や回折実験によって、波であることが検証されている。
しかし、、、
その昔、波である光は何か媒体がないと伝わらないと考えられていた。
太陽から出て光は地球に届くが、太陽と地球の間は真空である。
一体どうして、光が伝わるのか。
昔は、宇宙全体に「エーテル」という物質が充満していて、それが振動して光が伝わると考えられていた。20世紀のはじめまで、物理学者はそう信じていた。
それでは色々と実験的に矛盾が生じ、マックスウエルの電磁気理論の確立もあり、現代では光は、電場と磁場が交互に発生して、自分で進んでいくと理解されている。そのため、媒体のない真空中も伝わるのだ。

光は真空宇宙を進む

光は真空宇宙を進む

このように、理論と実証の両輪で、地をはいながら進んでいく。
飛躍はない!

ある理論(考え)があると、それから予想される結果を実験で検証する。
実験結果が予想に合致すれば、理論の確かさが確認できる。
さらに実験結果に基づき、次の予想(理論)を立て、そこから導かれる結論を実験で確かめる。
このように、一歩づつ理論と実証で進めていくのだ。
科学は積み重ねの学問なのだ。
徹底的に言葉による論理を推し進める。
言葉以外に数式や図表による表現も用いるが、基本的には概念化の手段である。

仏教

仏教は、論理的な宗教である。
それでも、いくつかの飛躍を許す。
大乗仏教で「空の思想」を打ち立てた龍樹はいう。
「ことばは、物事を概念化する。そのため、何物も対立を産まない真理である「空思想」の理解には、言葉を用いては到達できない」
言葉による思考を否定する。
飛躍を要求する。
言葉を捨て、飛躍しないと、真理には到達できないと言う。

科学的には、言葉を捨てた思考に、論理があるとは思えない。
瞑想には、言葉はない、理論はない。

しかし、仏教はいう。
「何も考えない、何も思考しない、その状態を推し進めた先になんらかの理解が待ち受けている」

声が聞こえる。
「全く瞑想もできない、瞑想の入り口にも到達できない奴が、何を言っている」
言われても仕方がない。

瞑想自身は、宗教ではない、思想でもない、技術だろう。

瞑想は「思考を飛躍させる力がある技術」なのだろう。

インドでは、古代から瞑想という、ある種の思考の技術を持っていたようだ。
私は言葉でしか思考・表現できないので、どこまで理解できるかわからないが、
瞑想という言葉を超えた思考技術について、考えてみたくなった。

次回、言葉を超えた思考方、瞑想について、「言葉で」考えてみよう。

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