3-2 釈迦の一生(2) 初転法輪から入滅

初期仏教

1 初転法輪

悟った後、初めてのブッダの説法はサールナートで、以前の苦行仲間の5名に対して行われた。初転法輪(しょてんぼうりん)と言って有名な話である。


この5名は、ブッダは苦行を捨てた裏切ものだと思っていたようだが、ブッダの堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、迎え入れた。
そして、ブッダは最初の説法を行った。このとき説かれた教えは、四諦(したい)[1]と八正道(はっしょうどう)[2]と中道(ちゅうどう)[3]と言われている。

同じように苦しい修行をしていた仲間が抜けると、なんか裏切られたような気持ちになって、5名の苦行仲間反発したと思われる。釈迦はみんなに、苦行を辞めることを告げなかったのだろうか。ともかくも、会った瞬間に彼(ブッダ)が悟っているのが彼らにはわかった。

これと逆に、異教徒ウパカとの遭遇の話がある。高野山大学のD先生が好きな話である。初転法輪の直前で、ウパカは悟ったブッダとすれ違う。その時、ブッダは「私は悟った」と言い、ウパカもそう感じるが、「あ、そうですか」と素っ気なく立ち去ったそうだ。まあ、興味のない人、分からない人にとってはそんなものだ。
我々もそのような経験をよくする。いくら素晴らしいものでも、興味がない人、分かってない人にとっては、「あ、そうですか」、「それで、、、?」となる。
ブッダに会って、すぐに「悟った人」と見抜いた5人の昔の仲間は、「それを見抜ける人」だったことになる。受け取る側にも、それなりの興味とレベルが必要だということだろうか、、、。別の解釈もあるのだが。

2 釈迦の入滅

その後、ブッダは多くのところで、多くの人に説法し、80歳の時にクシナガラで2月15日に入滅する。すでに悟っているので、彼の「死」は2度とは輪廻しない「死」であり、涅槃に行くことを意味している。

涅槃図(ガンダーラ石版写真)

コラム 右脇を下にして眠る。涅槃図におけるブッダはいつも右脇を下にして横たわっているが、意味があるのだ。これは、『大般涅槃経』に書かれている「獅子臥(ししが)」と呼ばれ、王者や聖者の安らかな横臥の作法だ。瞑想の姿勢の一つだ。「右脇を下にして眠る」ことは、気道が安定し、心身が安らかになるとされる。


釈迦の一生が八つの場面にまとめられ、八相成道(はっそうじょうどう)として伝わっている。そこには、釈迦は生前には兜率天(とそつてん)に住んでいたとか、母マーヤの右脇から胎内に入ったとか、右脇から生まれたとか、誕生直後に七歩歩いて、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったなどと伝えられている。

ブッダが偉大なのは、誰もが認めるところだろう。ただ、この手の奇跡的な話は多い。ブッダを偉大だと考えるあまり、多くの逸話が付け加えられたと考えられる。現代の常識として知る科学的な知識からは、誰も信用できないだろうが、宗教では、このような神秘性は必要なのだ。奇跡を見た時、人は畏敬の念を抱くようになる!

釈迦族の王族として生まれ、後継の男子をもうけ[]、29歳でなに不自由ない王族の地位を捨て、その後、林間で修行し、悟りを開き、布教の旅に出て、遊行の身のまま世を去った。釈迦の生き方は、われわれから見ると少し奇異に感じられる面がある。ただ、この一生は、古代インドの人生の理想「四住期(しじゅうき)」[4]の考えかたにのっとった人生であったと言われることもある。

[] 釈迦の男子(ラーフラ)は、幼少期に出家し、厳格に修行を重ね、最終的には阿羅漢になったと伝えられている。しかし、ラーフラの出家は、かなり異例。「父は王位継承を捨てて出家、息子も幼くして出家」という流れは、歴史的な事実かどうか以上に、「家を超えて真理に生きる」釈迦の象徴的なエピソードと読める。


[1] 苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)とされる。苦諦と集諦は、迷妄の世界の果と因を示す。滅諦と道諦は、証悟の世界の果と因とを示すと言われるが、これでは分からないので、後で詳述する。

[2] 正見(しょうけん)、正思(しょうし)、正語(しょうご)、正業(しょうごう)、正命(しょうみょう)、正精進(しょうしょうじん)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう)とされるが、悟りへの道筋を説いたものとされる。これでは分からないので、後に詳述する。

[3] 極端に走るのではなく、その中庸が大事と解されるが、もう少し進んで、二つのものの中間ではなく、二つのものの矛盾対立を超えることを意味する。

[4] ①学生期(がくしょうき):本来の意味は、特定の師匠(グル)に弟子入りして聖典ヴェーダを学習する時期であったが、クシャトリアは武人としての技能の鍛錬や行政や統治の実務の勉強も行い、ヴァイシャも世襲の職業に関する勉強も行った。現在では就学期間に相当。②家住期(かじゅうき):学生期を終えると家業に務め結婚して家族を養う家住期に入る。男子をもうけて先祖の祭祀を絶やさないことが重要視される。このためインドでは中国のような一人っ子政策は受け入れられにくい。『カーマ・スートラ』は家住期を充実させるための経典である。家住期において家長は家業を繁栄させて大いに儲け、その金を喜捨することも重要と考えられている。③林住期(りんじゅうき):家住期を終えると解脱に向けた人生段階に入る。孫の誕生を見届けた家長は家を離れて荒野や林に住み、質素で禁欲的な生活を営む。④遊行期(ゆぎょうき):林住期を終えると住まいを捨てて遍歴行者となって放浪し、解脱を目指す。

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