唯識や中観といった伝統仏教思想と、密教的宇宙観(五大、五智、五仏など)を融合させた体系的思考が、インド密教にも現れる。ここは、大乗とは思想的にも変わってくるところだろう。
この世界も人間も、五大(地大、水大、火大、風大、空大)の構成要素でできている。また、仏の智慧(般若)が大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智、法界体性智の五つの側面に分かれるが、修行によってこの五智を開発しうると考える。「五智」に対応して、密教では曼荼羅中央に五体の仏(五仏)が配置されるそれぞれ大日如来(中央)=法界体性智、阿閦如来(東)=大円鏡智、宝生如来(南)=平等性智、阿弥陀如来(西)=妙観察智、不空成就如来(北)=成所作智が配当されている。曼荼羅の観想で修行者は仏と一体となり、五智を得る。
でも、まだ「日本密教」で書いた空海の思想ほどは包括的ではない。
コメント===>インドでの教理概念、五大、五智、五仏を、空海は、統一的な宗教概念・哲学概念にまとめ上げる!
ただ、空海の発想は、飛躍が大きい、独自の解釈が大きい、経典からの引用が大胆すぎる、といつも感じる。まあ、よく言えば、彼は天才!多少の矛盾は気にしない!
まとめると、空海密教とは、インド密教の精髄を汲みながらも、それを日本的なるものに再構成し、社会化し、哲学化したものと言えるだろう。
それは「仏はどこにいるのか」という問いに対する、ある種の答えでもある。
インド密教が「仏は深奥にいる」と答えたのに対し、
空海密教はこう言ったのだ――仏は今、ここにいる。この身体の中に。
このようにみると、空海密教は、「インド中期密教+中国仏教+日本的土壌」によって開花した、独自性の高い密教思想であり、創造的再構成ともいえるのだ。
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