11-1-2 量子力学 ー 大黒天

仏教と科学

「仏教の人は量子力学が好きだ」に関するトピックスをもう一つ述べよう。

月に一回、京都にあるH院というお寺で、勉強会が開催されるが、そこに出席するようになった。話題提供とお話をしてくださるのはS先生という方で、僧侶資格をお持ちで、非常にユーモアがり、知っていることが広範囲で、何者にもとらわれない、フラットな感覚で雑談風に話を進められる。ブログ的に書かれた雑感も本として出版されている。毎回、参加者は10名程度で、かなりフランクにツッコミも入れながら話ができる良い雰囲気で、研究会の存在を知ってから頻繁に参加している。

ある日、その研究会にオーストラリアの人が参加された。ここではAさんと呼ぼう。
日本で得度を受けるために来日されたようで、敬虔な仏教信者なのだろう。見た目は東洋人だが、英語しか話せない(いや、中国語は話せるかも?台湾に師がいると言われていた)。日本語の研究会に参加されて、言葉の問題をどうするのかと様子をみていると、P Cを開けて、音声入力やスライドの読み込みをAIに翻訳させて、理解を進めているようだ。

その日の研究会のテーマは「道」だった。これを色々の角度から掘り下げる(その内容を書いても興味深いが、それはまたの機会に譲ろう)。Aさんがどこまで、会話の中で「道」の議論を理解されたはか、わからない。

2〜3時間の研究会が終わった後、みんながそれぞれの感想を述べるのだが、最後にAさんがコメントを始めた。

初めは、研究会の内容についてのコメントだったが、途中から自身の考えを述べ始めた。初めは何を言っているのかわからなかったが、どうも仏教の色々な現象を量子力学の考えを使って理解し、それを述べているようだった。面白そうだが、彼の話だけからは理解し難い。それで、ちょっと、痺れを切らして、いくつか聞いた。

研究会の中で、「心」「意識」の話が出てきた。ここで、仏教の唯識派がいう「阿頼耶識」(あらやしき:全て人の業(カルマ)を記憶している第八識で、死後も生き延びる)や、よく似た概念としてユングの「集合的無意識」の話も出てきた。S先生がそれをなかなか上手い(わかりやすい)絵にして描いておられた。その絵が今回のAさんの話の出発点なのであろう。


Aさんが大黒天の話を始めた。

「なんのこっちゃ?」

話を聞いて、なんとなく、彼の言ったことをまとめると、

「大黒天はマハーカーラ。サンスクリット語ではmahākāla kāla、mahāは大きい、kālaは黒とか時間(別に「死」の意味もある:これは事後に私が勝手に付加した)を表す言葉だ。そして、大きな袋を抱えている」と言い出した[1]

ますます分からなくなった。何が言いたいのだ。

さらに、「大きな袋にみんな入っている」

「何が???」

ここで、阿頼耶識の話に繋がるらしい。すなわち、彼がいうには、大黒天の大きな袋に、人間の全ての記憶、業が入っているらしいのだ。

「「大黒天の大きな袋」「なんでも飲み込む袋」、これはブラックホールなのだ」

とAさんが言い出す。ここで大黒天の「黒」が意味を持つようだ。

ブラックホールでは、遠くの観測者からは時間の進展が遅くなるのは、アインシュタインの一般相対性理論の結果でよく知られている。その結果、Aさんによると、そこには過去からのすべての情報が入っているらしい。「阿頼耶識」とよく似た役目を果たす。

彼の意見だ。知らんけど!


さらに話は進む。では、「宇宙の始まりは?」

Aさんは物理の話をよく知っているようで、「宇宙の始まりはビッグバーン」だという。物理が言っている話だ。そこでは、何もないところで、粒子と反粒子(物質と反物質)が生まれる。もちろんその二つが結合すると、また何もない状態(量子真空)に戻るのだが、現在は宇宙が膨張しており、物質と反物質のうち、何故か物質だけが生き残っているように見えるのだ。これは現代の物理学の大きな解決すべき課題であり、研究している人もいる。

前のブログに書いたが、量子真空におけるエネルギーの揺らぎが「すべての記憶を蓄える場所」との仮定は、実証はないが全くのお伽話でもないかもしれない。だだ、量子真空の話は、スピリチュアル系の人たちが、その想像力を膨らまして、あまり根拠なく色々な意味合いで書いている。ちょっと注意だ!

断片的になって申し訳ないが、さらにAさんの話は続く。次は「帝釈天」の宮殿の帝網(因陀羅網だ。帝網は宮殿を飾る網で、その無数の結び目一つ一つに珠玉があり、互いに映じあう。これは仏教では、一切のものが互いに障害とならずに関連しあうこと、縁で繋がっていることの例えとする。真言宗では、空海の『即身成仏義』に「重々帝網なるを即身と名づく」とあり、有名だ。ここまでなら、仏教を知っている人なら、常識だ。

ここで、Aさんは言う。

「珠玉の真理は、どんなに離れていても繋がると」

「ワームホールで結ばれている」

ワームホールとは、一般相対性理論の枠組みで考えられる時空構造の一種で、時間・空間をショートカットするようなトンネル構造と言われる。さらに、作年ノーベル物理学賞をとった研究に「量子ねじれの研究」がある。ここ現象では、「2つの相関した粒子の情報は、光の速度より速いスピードで、伝達する」。

Aさんは、この伝達はワームホールで繋がっているせいだと、言う。

確かに、量子力学・量子情報理論の「量子もつれ」という現象は、距離を越えた強い相関を伝達するが、それを古典的なアインシュタインのワームホールと結びつけようとする試みは物理学にもあるようだが、まだ全くの実証のない世界だ。


Aさんは最近の物理のトピックスをよくご存知のようだ。あためて、日本人だけでなく、仏教の人は量子力学が好きだと実感した。

Aさんのお話を、私が十分に理解できなかったせいもあるが、どうも仏教教理を、物理学の結果の一部を切り出して、特に量子力学の言葉で説明しようとしているように思えた。

物理的描像を仏教解釈に用いるのは、2つの世界の統合の意味では興味深いが、何が本当かは分からない状況だ。

分からないなら、これから調べていけば良いのだが、物理の考えを確認するには、どうしても実証が要求される。それがなければ、空想物語だ。

信仰として、大黒天を「大いなる時」「偉大な死」を司り、すべてを呑み込み、変化させる時間の神と受け取るのは、問題ない。しかし、量子力学の一部を借りて、あえて対応関係を導く必要はあるのだろうか?

この点を仏教の人はどのように考えているのだろう。


[1] 後に、高野山大学の学友Tさんに指摘された。大黒天は、インド、チベット、日本で大きく性格を変えながら信仰されてきた神様である。このことが、Aさんの話を少しややこしくしたようだ。インドでは、ヒンドゥー教のシヴァ神(破壊神)の化身で、「大いなる時」「偉大な死」を司どり、すべてを呑み込み、変化させる時間そのものの象徴なのだ。チベットでは、黒く恐ろしい忿怒形で護法尊の一柱だ。ところが、日本では、大国主命(だいこくしゅのみこと)」と通じたため、神仏習合し、忿怒尊ではなく、笑顔の庶民の福神となった。だいぶイメージ違うな!

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