悲惨な状況で始まった瞑想だが、「継続は力」と思い、瞑想教室で習ったことと同じことを、家で週に3、4回は続けた。
NHKカルチャーの講義・実習は、丸いお月さんの掛け軸を使った月輪観まで進んだ。
まんまるの「月」を思い浮かべ、それを自分の中に入れ、心の中で見つめ、次のステップでは、胸中の月輪を等身大に広げ、その光の中に住し、月輪の光に宿る仏の光に包まれ、その光と一つになっていく、と教えてくださる。
やってみる。無理!
雑念が出てきた時、それに蓋をしたり嫌悪せず、それらが無常であることに気づき、もう一度胸中の月輪に意識を集中すべし、と教わる。
全く無理!
とはいえ、日々やっていると少し状況は向上した、いや変化した。
月輪観は難しいので、種智院大学で知り合ったFさんの勧めもあり、一番基本的な阿息観をともかく続けることにした。
参考にはならないと思うが、以下のような変化があった。
朝の清々しい森の風景を思い浮かべたのは、いつもと同じだが、森にモヤがかかっていて、上から朝日がさしてきて、それに向かってモヤの中を上昇する。浮遊感に囚われる。
以前から、空を飛ぶ夢を見ることがある。飛ぶと言っても、スーパーマンのように飛ぶのではなく、あるビルの屋上から隣のビルの屋上に空中を歩いて渡るのである。気を許すと、少しずつ高度が下がり始める。気を入れ直して、空中を一歩ずつ上がっていく。うまくいけば、隣のビルの屋上に到着する。
そんな浮遊感を時々、それも短い時間感じることがあった。
これでは目的とする「瞑想で何かを感じる」には程遠いような気がする。
でも、約半年間、週に3、4回の瞑想を続けた。
大きな発展はない!

ふと思った。
「自分は瞑想状態に入りたい、入りたいと意識しすぎなのではないか」
「意識を無にするという、元々の瞑想からどんどん離れているのではないか?」
約1ヶ月、瞑想を中断した。
その後、久しぶりに瞑想をやってみた。
「なんか、自然に心静かに居れるな〜」
と思える。
結論。無理せず、すぐに結果を求めず、静かにやっていった方が良さそうだ。
そう思ったのも束の間、やっぱり悪い癖が出てくる。
「瞑想って、なんなのだ!」
「そういえば、瞑想の理屈を学んだことがないなー」
と考えてしまう。
ついに、瞑想を理屈として、言葉で学び始めてしまった。
これって、瞑想から遠ざかっているような気もするが、どうもこの手の思考を抑えきれない。
40年以上やってきた、科学的思考の名残が拭いされない。
という訳で、次回からは瞑想とは何かを考えることにする。
そうそう、瞑想を考える前に、慣れ親しんだ科学的思考について考えてみる。
瞑想ができるようになることを期待しながら、、、



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