8 空海の教え

日本密教

ここまで、空海の出生から入滅までの道筋を辿った。

空海が中国から持ち帰った密教は、「中期密教」ではあるが、それはオリジナルのインド密教からは変容した、中国の思想も取り入れたものであった。空海は日本の事情に合わせる形で、『大日経』(胎蔵界)と『金剛頂経』(金剛界)の二つの曼荼羅を中心に体系化し、真言宗を確立した。真言密教は、国家安泰、五穀豊穣、病気平癒といった現世利益的な側面と、悟りに至る厳密な修行体系を持ち合わせている。

天皇や貴族層の支持を得て日本仏教の主流の一つとなった。貴族仏教としての一面だ!
次に空海が著した著書の代表的なものを見ながら、彼の教えを見てみよう。


1)『三教指帰』
空海が官僚への道を辞め、仏道へ入る決心を示したと思われる書だ。
延暦16年(797年)頃、20代半ばで執筆した。ここでは、儒教・道教・仏教の三つの教えを擬人化した登場人物たちが対話を行い、それぞれの立場から人生の真理を説く。最後に仏教が最も深遠で究極の教えであるとしている。主人公は世俗を捨てて山林修行に入る青年で、きっと空海自身の分身だろう。
これを読むと、空海が宗教家として名を成す以前、すでに仏教に深い理解を持ち、自身の道を決めていたのだろう。


2)『即身成仏義』
この書は、弘仁8年(817年)頃の成立と考えられ、密教において革新的な教えである「即身成仏(=その身のままで成仏する)」の概念を『大日経』や『金剛頂経』を大胆に引用しながら、打ち立る。
要約すると、人間存在は、本来的に大日如来の智慧と一体であるゆえ、正しく密教の修行を行えば、この身このままで成仏できるという趣旨だ。それまでの顕教における三刧成仏の考えを大きく覆した。

少し具体的に紐解く。
人間という存在を「五大(地・水・火・風・空)」から成るものと捉える。これは仏の体(大日如来の身体)とまったく同じ要素からできている。さらに、人間の心のはたらきは「六大(五大に識を加える)」であり、それは仏の智慧のはたらきでもあるのだ。六大の考えは空海オリジナルだ[1]
仏(大日如来)は「身・口・意」の三つの働きを持ち、また人間も「身体」「言葉」「心」を持っている。そこで、空海は、「人間の三密」と「仏の三密」はもともと対応していると考えた。
密教の瑜伽の修行により、この三密を仏と一体化させるのだ。

仏(大日如来)は五つの智慧(五智)[2]を具えており、人間も本来この五智を潜在的に持っているとし、密教修行を通してこの五智が顕在化すれば、即ち成仏できると説くのだ。
以下の偈頌[3]にまとめたのだ。

六大無碍にして常に瑜伽なり
四曼具足して一切成就す

五智如来は本より一体にして
四身円満にして更に余りなし

この空海の「即身成仏」思想は、「この現世、この身体、この瞬間において、仏と合一できる」という、非常に能動的・現実的な革新的宗教観だ。


3)『声字実相義』では、「声」(音)と「字」(文字)に仏の真理=実相が宿るという密教特有の言語観を展開する。すべての言葉は、仏の智慧や慈悲を表現するための直接的な働きを持ち、特に梵字や真言は仏そのものであると説く。言語は単なる記号ではなく、宇宙的真理と一体であるという思想が貫かれている。三密(身・口・意)の「口」にあたる「言語実践」の理論的裏づけとなる内容だ。

コメント===>今まで、「仏教では真理は言葉では表現できない」と聞いてきて、なんかこの書で!「ガーン!」と言う感じだ。あとで、私的感想をコラムで書こう。


4)『吽字義』
字は字相と字義との二面を持つと言う。字相とは言葉の表面上の意味、字義は言葉の深秘の義を示す。吽字(huum)は賀(カ・ha)・阿(ア・a)、汗(ウー・uu)、麼(マ・ma)の四字に分解でき、それぞれの字相は訶は因(hetu、因)、阿は不生(aadi、本初)、汗は損滅(uuna、損滅)、麼は増益(mama、吾我)意味をもつ。それぞれの字義は、訶字は一切諸法因不可得、阿は一切諸法本不生不可得、汗字は一切諸法損滅不可得、麼字は一切諸吾我滅不可得、と言い、それぞれが、法身、報身、応身、化身の身体に配当されると説く。
文字や言葉には仏の教えのはたらきが表されており、仏の説法(法身説法)であると説く。吽の字には密教の諸教論の教えが重なるように含まれ、「三句の法門」も吽字一字に帰すと述べる。『即身成仏義』にも通じる、言葉(字)の真実の力を示した書だ。

コラム:真言宗における言葉とは
『声字実相義』では、「声と字(言語)が真実を表し得る」と説いている。
一方、仏教では言葉は人間の概念化を作り出し、言葉では真理を見出すことはできないと言っている。
では、空海の『声字実相義』の思想は、この矛盾の中でどのように捉えればいいのか?以下、私的考察だ。
基本は、空海は言語を単なる人間の概念化の道具ではなく、「仏の働き」そのものと見る。かなり過激だ。
これまで何度も習ってきたが、中観派では、真理は無分別智によってしか悟ることができず、言語では真理を表現できない(「不可説不可思議」)と説く。例えば、龍樹『中論』の「涅槃は言葉で言い表すことができない」だ。
しかし、空海は、問い直す。
「仏は言葉(真言)によって教えを説いたのではないのか?」
「仏の言葉は「音声」や「文字」を通じて世界を救済するではないのか?」
「そうだ、その通りだ」
そう考えた空海は、『声字実相義』で、
「声(音声)・字(文字)・義(意味)は三つにして一体であり、仏の身(行動)・口(言葉)・意(心)と対応し、実相(真理)を表現している」
「言葉は仏の“行為”であり、実在そのものを構成する神秘的力(加持力)だ」

それじゃ、勝義諦、世俗諦との関わりはどうなるのだ!
龍樹のいう「勝義諦」、「世俗諦」と言う概念がある。菩薩は、まず勝義諦(空=不二)を悟り、その後、衆生世界の「世俗諦」に戻り、衆生救済を行う。
なぜなら、衆生世界での救済のためには、具体的な価値判断が必要になり、空(不二)の世界(勝義諦)にとどまることはできない。
菩薩は「勝義諦」を悟りつつも、世俗諦では方便(言葉・概念)を駆使して人々を救済するのだ。
空海は、『声字実相義』の主張にあるように、世俗諦で用いられる「言語」そのものに勝義諦的な真理が宿ると考えた。
極論すると、「世俗諦」=「勝義諦」。なんと大胆な!
空海は、さらに一歩進た。
「空と仮(世俗)を区別すること自体が分別だ」
「仮(声・字)そのものが空(実相)を顕現している」
空海は、言葉を再聖化し、衆生世界をも仏の現れと見る視点を打ち立てたのだ。


5)『十住心論』

天長10年(830年)頃、淳和天主の勅令で、空海が密教体系を総合的に述べた教相判釈を書く。全10巻からなる大部。「教相判釈」だが、ここでは人の心、そして宗派、宗教の順位付けだ!

人間の心のあり方(=「住心」)を十段階に分類し、各段階を宗派にも割り当てる。例えば、初級の外道心から始まり、小乗・大乗・唯識などを経て、第九住心の極無自性心は華厳宗、最上位の秘密荘厳心は、真言宗に対応する。各住心は、それぞれの宗派の教義や修行方法を反映しており、仏教全体を包括的に位置づける。


6)『秘蔵宝鑰』

『十住心論』とほぼ同時期に執筆され、その要約的位置づけを持つ。『十住心論』の要点をまとめた書。仏教の諸の教え(教相)を整理し、十住心を再度簡明に説明しつつ、密教の優越性を強調する。「秘蔵」とは仏の深奥な教え、「宝鑰」とはそれを開く鍵を意味し、密教こそがその鍵であるとする。
この二作『十住心論』と『秘蔵宝鑰』により、空海は密教が日本仏教の最高教義だと主張した。


7)『弁顕密二教論』

密教と顕教の違いを理論的に明確にした著作である。仏教の教えを「顕教」と「密教」に大別し、その違いを明確にする。顕教は仏の言葉の説明にとどまるが、密教は仏の本質を直観的・実践的に体得できると説く。顕教では悟りに至るには三大阿僧祇劫を要するが、密教では即身成仏が可能であるという対比が中心となっている。これ以降、日本の仏教においては、「密顕の別」は基本概念となる。


8)『般若心経秘鍵』

『般若心経』を密教的視点から読み解いた注釈書であり、一般的な顕教的解釈とは異なる深層的意味を探る。空海は「色即是空 空即是色」などの語句を密教的に読み替え、大日如来の智慧・三密の働きとして解釈する。表面的には短い経文の中に密教の奥義が秘められていると説き、真言について次のように述べる。

真言は不思議なり。観誦すれば無明を除く。
一字に千理を含み、即身に法如を証す。
真言とは不思議な力を持っており、読誦すれば無知が取り除かれる
真言の梵字一字にたくさんの真理が含まれており、その身のままでさとりを得れる

あまりうまく説明できていないが、ともかく空海の著作が、その後の日本密教、いや日本仏教に大きな影響を与えたのは想像に難くない。

コメント===>空海の著作は、なかなか大胆で独自の解釈が多く含まれている。引用する経典についても、彼独自の解釈が多く見られるように思う。簡単にいえば、天才なのだ!


[1] 「六大」の言葉は、入れ以前にインドにもあった、と聞いたが、、、(不明)。

[2] 大円鏡智(万象を映す鏡のような智慧)、平等性智(すべての命を平等に見る智慧)、妙観察智(事物の差異を明らかに見る智慧)、成所作智(行動を正しく導く智慧)、法界体性智(宇宙と一体である根源的智慧)

[3] 現代語訳(意訳):この身は地・水・火・風・空・識の六大からなり、妨げなく通じ合い、常に仏と一体の修行(瑜伽)をなしている。四種の曼荼羅(法・大・三昧耶・羯磨)がすべて具わっており、あらゆる成果を成し遂げる。五智如来はもともと一体であり、四つの仏身(法身・報身・応身・変化身)も完全にそなわっていて、何一つ不足はない。

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