密教とは秘密の仏教と言われる。いろいろなところに書かれてはいるが、一体何が秘密かをまとめておこう。高野山大学のD先生に初めて教わったが、秘密には2つある。一つは如来秘密。もう一つは衆生秘密。
如来秘密とは、如来の智慧や悟りの境地は、言葉や理論では説明しきれず深遠なる教えであるため、それは「秘密」。修行と伝授を通じて体験的に明かされるのだ。
一方、衆生秘密は、衆生が、本来は仏と同じく清浄な仏性(=如来の智慧)を有しているにもかかわらず、それを自覚できず迷妄のなかにあるということ。すなわち、この「仏性の不自覚」が「秘密」。
しかし、空海はこの2つの「秘密」は、三密修行によって一致し、悟りに至ると言う[1]。
もっと一般的に言っても、密教は「秘密の仏教」なのだ。
現在では、秘密ではなくなってきているが、密教の最大の特徴である三密(身・口・意)の行法、灌頂、曼荼羅観想などは、外部には公開されない師資相承(師から弟子への直接の授与)の「口伝」の形式で伝えられてきた。それゆえ、秘密。
言語や象徴的な表現が秘密なのだ。密教では、曼荼羅、種字、真言、仏具などを用いるが、これらの意味は表面的には把握できない!言語を超えた直感的・象徴的理解が必要であり、この意味でも、秘密なのだ。
コメント===>やっぱり、言語を超えた直感的・象徴的理解が必要なのだ!でも、「声字」(文字)には仏の真理が宿る。この「声字」を直感的・象徴的理解しないといけないのだ!
まだよく分からん。先は長い。
[1] 『秘密曼荼羅十住心論』 第十「秘密莊嚴心」
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