12-3-2 信仰(2)仏教における信仰

仏教における信仰 仏教と科学の狭間で_2
仏教における信仰

コトバンクを見ると、信仰とは「神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること」、「特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと」とある。ちょっと仏教の信仰とは違う気がする。

仏教における「信仰」ってなんだろう?
キリスト教やイスラム教などの一神教における「神への信仰」とは少し性質が違う。
仏教では、何か絶対的な存在を「信じる」感覚はない。
仏教では、「無批判に信じる」ことはなさそうだ。

『カラマ経』(中部経典)[1]では、ブッダ自身が言っている。
「ただ言われたから信じるな。伝統だから信じるな。自ら考え、確かめた上で受け入れよ」
理性・経験に照らして納得できることを信じる、ということだ。

これを聞いて、ちょっとホッとする。だいたい、訳もわからずともかく「信じろ!」と言われて、誰が信じる?まあ、奇跡なんかを見せてくれたら別だけど。


大学の授業では、初期仏教では、信仰とは「三宝帰依」、すなわち、仏(目覚めた者)、法(真理としての道)、僧(出家僧団)への帰依、信頼と習った。
現代ではちょっと違う。

「仏」:すなわち、ブッダはもういない。
「僧団」:素晴らしい人はいるが、全体としてどうも信じられない。
「法」:そうすると、仏教が説く真理を信じることか?
それって、「自ら考え、確かめて」信じる、「自分で考えて、自分で信じ、自分で実践する」ことか?

神に救いを求めるというより、自らが一歩ずつ歩むために、支えとなるものを見出し、生きる指針を見出すこと。仏教において、信じるとは「自分で考えて、信じること」のような気がする。


あるとき、日本人だがチベットで僧侶になられた方(日本名 I さん)にお聞きした。

「経典に書いてあることは、信じられることと信じられないことがあります」
「どう考えればいいでしょう?」
彼の答えは、明確で、
「無理に信じる必要はありません。信じられるところをまず信じればいいのです。そして自分で十分考えて、自分の中に取り入れていってください」
まさに、考える宗教として、納得した。

信仰。自分の信じる道を決める指針をもらい、それを考え、実践する覚悟。そう今は感じる。
ただ、人はそれを信仰とは呼ばないような気がする。


仏教の出発点は、神の啓示でも絶対者の存在でもなく、「この人生はなぜ苦しいのか?」というブッダの問いだ。非常に具体的な問いだ。
人生は思い通りにはならないことだらけだ。
病気になり、老いさらばえ、死んでいく。
愛する人とも別れないといけない。
欲望がどんどん湧いてくる。
仏教はこれを「苦」と呼び、どうして抜け出すかを、理論だけでなく「生き方の実践」として示した。

私は実践できてないけど、勉強したな。「信じることによって救われる」というよりも、「自分で気づいて変わり、解放される」。これが仏教の信仰だ(と今は思う)。


宗教としての仏教が目指すのは、
苦しみの原因を明らかにし、それを克服すること
他者との関係を見直し、共に苦しみを軽減すること
未来に向けての救いより、今を生きること

仏教における信仰とは、「目を閉じて信じる」のではなく、「目を見開いて見つめる」ことだ。
自分の苦しみを、そしてそこから抜け出す可能性を、深く見つめ、信じてみようとすることだ。

仏教は宗教でありながら「自らに目覚めるための実践」、そしてその方法を示してくれる。そのおかげで、信仰と哲学が両立する。これは、かなり特異な宗教だ。


[1] https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/an/an03/an03.065.than.html

『カラマ経』(パーリー語名 Kalama Sutta、中部経典第48経:ブッダの教えの「経蔵」)、”Do not go by reports, by legends, by traditions, by scripture, by logical conjecture, by inference, by analogies, by agreement through pondering views, by probability, nor by the thought, ‘This contemplative is our teacher.'” “But when you know for yourselves that, ‘These things are skillful; these things are blameless; these things are praised by the wise; these things, if undertaken & carried out, lead to welfare & to happiness’ — then you should enter and remain in them.”

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