日本密教

日本密教

6-9 空海の思想と実践

前のブログで、 “ほぼ”年代の順に空海思想・教理を示す著書と彼が行った社会事業を概観した。その思想と実践を、独断的に紐解き、空海の思想を考えてみよう。1.青年期の決意空海は、結構いい家に生まれたのは以前に書いた。おかげで、15歳で平城京に上...
日本密教

6-8 空海の教え

ここまで、空海の出生から入滅までの道筋を辿った。空海が中国から持ち帰った密教は、「中期密教」ではあるが、それはオリジナルのインド密教からは変容した、中国の思想も取り入れたものであった。空海は日本の事情に合わせる形で、『大日経(だいにちきょう...
日本密教

6-7 空海の帰国、そして活躍

約2年半の唐滞在を経て、ついに空海は806年10月筑紫に帰ってくる。本来は20年の留学予定だった。恵果から密教の正統をすべて授かり、たった2年半で帰国する。日本に帰った空海の凄まじい活躍が始まる!空海が帰国して、本当に超人的なパワーで、多く...
日本密教

6-6 唐から持ち帰ったもの

恵果の死の前後に、空海は長安を離れ、多数の密教経典、仏具(五鈷杵(ごこしょう)・金剛鈴など、密教の儀式で必須の法具)、儀軌(灌頂、護摩、修法などの詳細な実践書)、曼荼羅(胎蔵界・金剛界の両部曼荼羅)などを携えて帰国の準備に入る。806年8月...
日本密教

6-5 空海入唐

出航と漂着遣唐使船団は4隻で構成されていたが、暴風に遭い、2隻が遭難。空海の乗った第2船はかろうじて現在の中国、福建省・福州付近に漂着した。当時の航海は本当に命懸けだ!ちなみに、最澄は第1船に乗っており、比較的順調に航海を終え、明州(民法、...