『時輪(じりん)タントラ』(カーラチャクラ・タントラ)は仏教史最後に現れた後期密教経典であり、父タントラと母タントラを統合する「不ニタントラ」と言われる。実際、マクロコスモスとミクロコスモスを統一的に解釈し、「性の理論」と「死の理論」を統一し、究竟次第を統一し、そして灌頂儀礼も統一したのである。
内容は、5つの章から構成されている。①世間品、②内品、③灌頂品、④成就品、⑤智慧品である。「時輪」(カーラチャクラ)という語は「時間の輪」を意味し、時間的周期を重視しており、この観点からは「外・内・別の三時輪」に要約されるのだ。
「外の時輪」である①「世間品」では天文宇宙論を論じる
「内の時輪」である②「内品」では身体論と生理学説が述べる
「別の時輪」である③「灌頂品」では灌頂と曼荼羅、④成就品と⑤智慧品では生起次第と苦境次第を説く
ここでは、『時輪タントラ』において示される内容を、教理の歴史的発展を詳細に記述した田中公明[1994,『超密教 時輪タントラ』、東方出版]の研究をもとに、主に「統一」の視点から見ていく。
田中公明[1994、p4]によると(『時輪タントラ』の)「全体は極めて圧縮された内容を示し、様々の暗号、隠語的表現が散りばめられているので、タントラ本文のみから内容を把握することは難しい。そこで『時輪タントラ』の理解には、シャンバラのカルキ・プンダリーカ王の著作とされる大註釈『ヴィマラプラバー』(無垢光疏)に依るのが、伝統的な方法とされている」そうだ。
読み解くのが難しいようだ!

1)「器世界」と「衆生世間」の生成の統一
「器世界」(マクロコスモ、宇宙と言っていいかな)の誕生は、虚空より風輪、その上に火輪、その上に水輪、その上に方形の地輪を観想し、四大輪の融合により金剛地分輪を観想する。このように、虚空より希薄な「風」が生じ、風→火→水→地と次第に粗大な要素が生じて、「器世間」が成立するのだ。後期密教の曼荼羅観想は、宇宙生成期「成劫」[1]における「器世間」成立の過程のシミュレートだ。
『金剛頂経』の「器界観」から『秘密集会』を経て完成された曼荼羅生成理論を継承しており、須弥山も含む曼茶羅生成理論の集約といえる[2]。
「衆生世間」(ミクロコスモ、衆生の身体と言っていいかな)の生成については、曼茶羅と身体論が初めて『大日経』で出会い、これが後期密教の生理学説に発展する。
後期密教では、まず四つのチャクラと三つの脈管による身体論(四輪三脈説)が発展したが、『時輪タントラ』では「六輪六脈」説となる。六輪六脈を六仏に配当することで、曼茶羅と身体論を完全に一つの体系に統合し、曼荼羅は尊格だけの悟りの世界ではなく、器世界(衆生世界)を含む現実世界となったのである。
これにより、宇宙の構造と人間の生理構造が一体化して理解され、修行者は自身の身体を「小宇宙」として扱いながら悟りを目指すことになった。
2)「性の理論」と「死の理論」の統一
後期密教に入り、「性の理論」と「死の理論」が展開されたことは前のブログで書いた。
「性の理論」については、十二縁起と輪廻転生の関係の議論がその始まりであり、「死の論理」については、ブッダの「五智」と「蘊・界・処」の体系に基づいて死を分析した。
『時輪タントラ』は、これら父タントラが発展させた「死の理論(空のヨーガ)」と、母タントラが発展させた「性の理論(楽のヨーガ)」を一つの修行体系に統合し、人間存在の両極である「誕生」と「死」を同時に悟りの道に組み込んだ。
実際に生殖の瞬間、死の瞬間を仏教的に体験するための方便として、「究竟次第」が発展した。『時輪タントラ』までの発展を、以下に簡単にまとめよう。
「性の体験」については、生理学的な方法により、人工的に神秘体験をつくりだすテクニックを基としている。『ヘーヴァジュラ・タントラ』の生理学的ヨーガでは、精液が「世俗の菩提心」と呼ばれて重視されるようになり、射精を抑制しながら脈管の下端つまり、生殖器の基底部に生じた快感を、次第に上のチャクラに上昇させ、「不変大楽」を実現する。
一方、「死の体験」については、呼吸の制御によって仮死状態となり、そこからまた蘇生するがヨーガが説かれる。これにより、種々のヴィジョンを観る[3]。この実現のため、究竟次第が開発され、実際に「聖者流」『五次第』では、①金剛念誦次第(定寂語)次第、②心清浄(常寂心)次第、③自加持(幻身)次第、④楽現覚(光明)次第、⑤双入次第の五つを示し、「一切空」と呼ばれる「光明」を見ることにより成仏できるとしている。
3)統合的修行 六支瑜伽
『時輪タントラ』の究竟次第は、「六支瑜伽(ろくしゆが)」と呼ばれる六つのステップで統一した。これは六仏に対応し、父タントラの「死の理論」と母タントラの「性の理論」が順序よく組み込まれている。外界への執着を弱める段階から始まり、風(プラーナ)を微細化し、最終的には三摩地へ至るまでを六つの段階に整理した。
- 拘束(こうそく、プラティヤハーラ):感覚を内に引き戻し、外界との関わりを断つ準備段階。
- 禅定(せんじょう、ディヤーナ):心を集中させ、生命気(風)を制御する土台を築く。
- 持息(じそく、プラーナーヤーマ):呼吸を制御し、生命気を中央脈管へ導く。死のプロセスの再現がここから始まる。
- 総持(そうじ、ダラニー):風が中央脈管に留まり、陽炎→煙→蛍光→灯明→光明という死の体験と同様のヴィジョンが現れる(空のヨーガの完成)。
- 随念(ずいねん、アヌスマリティ):光明を土台に、性的ヨーガを導入。チャンダーリーの火(腹部の内火)を燃え上がらせ、菩提心(白=精液、赤=血液)を上下に巡らせる。
- 三摩地(さんまじ、サマーディ):性的快感が四段階(歓喜→最勝歓喜→離喜歓喜→倶生歓喜)を経て極限に達し、四つの「点」が仏の四身に転化。行者は「空色身(虹の身体)」と「不変大楽」を同時に実現する。
『時輪タントラ』では、「空」を先に修し、「楽」を後に修する構成だ。歴史的に父タントラが母タントラより先に成立した経緯を反映しているようだが、結果として「楽」が修行の最終段階に位置づけられるため、母タントラを上位に置く構造になってしまった。
この前後関係が、後にちょっと問題になる!
『時輪タントラ』はチベット仏教においても重要視され、特にサキャ派やジョナン派で発展した。一方、ゲルク派では『秘密集会タントラ』聖者流を最高位として解釈する。そのため、修行体系の中で父タントラと母タントラのどちらを優位に置くかという問題になったらしい。
チベット仏教に伝わる「ナーローの六法」という究竟次第がある。これも光明や幻身の境地を求めるが、生起次第と究竟次第が混じり合った、かなり実践寄りの内容で、風や滴を操作する身体技法が打ち出されている。六支瑜伽とは異なる具体的な修行メニューなのだ。違うので、注意!
4)灌頂儀礼の統一
灌頂儀礼とは、古代インドにおける国王の即位に際しなされた儀式だが、仏教ではこれを採り入れ、仏教への入門儀礼とした。
これも前のブログで書いたが、『秘密集会』では、瓶灌頂、秘密灌頂、般若智灌頂の三種に、第四灌頂を加えた四灌頂説が有力となった。中期密教の灌頂全体が四灌頂のうちの第一段の瓶灌頂に相当する。第二、第三の灌頂は性的な要素も含む後期密教的な灌頂だ。
それに対し、『時輪タントラ』の灌頂は、『秘密集会』系ではなく、母タントラ系の『ヴァジュラパンジャラ』の灌頂説が発展したものと言われる。
大きく2つ、世間の七灌頂と出世間の四灌頂に分けられている。
世間灌頂は、1.水灌頂、2.宝冠灌頂、3.繪綵灌頂、4.金剛杵・金剛鈴灌頂、5.尊主灌頂、6.金剛名灌頂、7.許可の七種であり、中期密教の灌頂を継承する。このような世間灌頂は、後期密教に生起、究意の二次第あるうち、生起次第実習の資格を付与するものといわれる。
出世間灌頂は、1.瓶灌頂[4]、2.秘密灌頂、3.般若智灌頂、4.第四灌頂の四種からなり、先行する後期密教の灌頂を総承するものだ。
『時輪タントラ』では、出世間灌頂が、究意次第実習の資格を付与するものと位置づけられている。
おわりに
後期密教はもともと秘教的、呪術的な色彩が強く、社会的に閉ざされた組織をもっていたと考えられる。『時輪タントラ』では、中期密教までの灌頂を後期密教系の灌頂から切り離し、「世間灌頂」として大衆に開放し、信者の拡大を図ったのだ。
多分、『時輪タントラ』時代は、イスラム教の侵入と破壊から仏教を守るという、仏教としては珍しい政治的意図があり、大衆を取り込むため世間灌頂が必要になったのだろう。
1203年、ヴィクラマシーラ大僧院がイスラム勢力により破壊される。インドにおける仏教の終焉と言われる。その後も仏教はインドの中で多少は生き残ったと言われるが、弱小勢力であった。また、『時輪タントラ』の後に、いくつかの仏教経典が書かれたことがわかってきたらしい[5]。
『時輪タントラ』以降の経典が発見され、その後の発展はどうなのかと、高野山大学のT先生にお聞きしたところ「まだ調査中」とのことでした。
ただ、「従来の研究では、すべての経典が『時輪タントラ』に向かって収束していくということを前提として、思想・儀礼・マンダラの展開が理解されていた(このブログの立場です)のですが、今後はそれらを見直す必要があるだろう」のことでした。
学術研究大変で、まだ時間かかりそうです!
ここで書いたことも、ひっくり返るかもしれませんね〜
このブログでは、主に『時輪タントラ』の内容について、「統一」の立場から眺めてきた。『時輪タントラ』にはここで述べた以外にも、重要なテーマが書かれている。具体的には「曼荼羅の構成」「シャンバラ伝説」、「ナムチュワンデン」などであるが、これについてはまたの機会に譲りたい。
[1] 宇宙は、「刧」(カルパ)と称される天文学的周期で生成と消滅を繰り返している。宇宙生成の時期が「成刧」、存続の時期が「住刧」、破壊の時期が「壊刧」、空無に帰す時期が「空劫」である。
[2] 後期密教では、現実の世界を一つの曼茶羅と考える。しかし『秘密集会タントラ』では、曼荼羅と須弥山世界との対応は明確ではない。ところが『時輪』では、曼茶羅の各部分が須弥山世界のどこに対応するかが、議論されるようになる。『時輪タントラ』の曼茶羅では、須弥山世界を構成する五大が、阿閦(空)、不空成就(風)、宝生(火)、阿弥陀(水)、毘盧遮那(地)の五仏で象徴される。これら五仏は、身口意具足時輪曼荼羅では、曼荼羅の中央、東、南、北、西に配置される。そこで身口意具足時輪曼茶羅は、四大の色に基づき東=黒、南=赤、北=白、西=黄と塗り分けられている。そして『時輪タントラ』では、これら四大の形状が、須弥山の四方に配される四大州の形態に対応していると説く。
[3] ①陽炎、②煙、③蛍の光、④灯明、⑤常光明(=妙光明)の「五相」である。
[4] ただし、瓶灌頂は、名称の上では『秘密集会』の第一「瓶灌頂」と同じ名前であるが、内容は異なる。
[5] On the Chronology of the Buddhist Tantras, The Oxford Handbook of Tantric Studies 1057-1082, 2022, Oxford University Press.


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