大乗仏教から徐々に密教が生まれてくる。もちろん、そっくり入れ替わるわけではない。一つの新しい流れができ、大乗仏教とも共存していく。
この章では、密教について書くつもりだ。
でも、日本では密教というと弘法大師空海が唐(中国)から持ち帰り、独自の解釈を確立し、布教した真言宗があまりにも、その存在が大きい。それを抜きには、語れない!
コメント===>高野山大学で仏教を学んだせいもあると思うが、空海の存在が大きい。確かに空海は天才肌の偉大な宗教家だ。いや、単に宗教家の枠に収まらない。「プロローグ」で書いたように、湯川秀樹もベタ褒めした。とても偉大で、かつ人気者だ。仏教の講演会や講習会で、空海の名前を入れると受講者が跳ね上がると聞く(知らんけど!)。
ということで、「密教」の章を始めるにあたり、空海のことを簡単に紹介しようということになる。人気取りのような、下心にも思えるが、、、まずは真言密教から始めよう。
コメント===>声が聞こえてくる。
「おいおい、日本の密教といえば、最澄が唐から持ち帰った天台宗(台密)を忘れているんじゃないか?」
確かにその通りだ。空海とほぼ同時期に最澄は唐から天台宗を持ち帰った。天台宗は、インド各時代の広い仏教をさまざまな理論を駆使して、『法華経』を最上位に置き、一括して理解しようとする中国独自の宗派なのだ。さらに密教的感覚で覆っている。バラバラだった仏教が、1つの体系として理解できるようになり、日本では歓迎された。
一方、空海の持ち帰った密教は、インドにおける仏教の最終段階として現れた単一の教えであり、強力だった。最澄も空海から経典を借りるなどして、密教を勉強したようだが、そのうち仲が悪くなる(これは有名な話!)。
天台宗も日本に大きな影響を与えた宗派で、書かない方がおかしい。でも、書くの怖いな〜。多分、高野山大学では、あまり正式には習っていないためだ(と思う)。
密教はインドで生まれ、徐々にその姿を変えてきた。日本では、初期密教、中期密教、後期密教と分類される。しかし、日本で生きている密教は、中期密教であり、後期密教はほとんど入ってこなかった。空海の伝えたのも、この分類に従えば、中期密教だ。
まず、日本に仏教が入ってきた経緯や国家の対応、さらに空海が密教を導入した経緯についても知っておく必要がある。そこで、日本への密教の導入、空海の活躍から、この章を始めたい。
コメント===>密教全体の話を飛ばして、空海の真言密教から入る。これって、ちょっとおかしな書き方だ。通常は、オリジナルのインド密教を述べて、それが中国を通って、どのように日本に入ってきて、変貌していったのかを書くほうが、分かりやすく、普通の書き方のような気がする。でも、それを無視してもよいほど、日本では、空海の存在は大きいのだ!
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