4 大乗仏教

大乗仏教

誕生の背景:初期仏教から部派仏教へと発展する中で、仏教はすっかり「出家者だけの世界」になってしまった。修行者は難しい教理ばかり進めて、自分の成仏(自利)ばかりを願い、庶民に寄り添うどころか、「専門家集団の内輪の世界」に入ってしまった。その反発か、大乗仏教では、多くの衆生(民衆)を悟らせること(利他)、すなわち、衆生の救済を目的とした。これが、大乗仏教最大の特徴だ!

コメント===>お気付きだと思うが、「衆生救済」とは、衆生の人たちを仏教的な悟りに導くこと(利他)。何も、現代風の「子ども食堂」のような福祉活動を言っているわけではない。でも、実際は、現実的な福祉活動もあったようだ。

大乗とは、「偉大な乗り物(=多くの人を運ぶ教え)」つまり「より多くの人を乗せて悟りへと導く乗り物」という意味だ。それに対して、個人の悟りを目指す部派仏教は「小乗(しょうじょう)=小さな乗り物」と批判的に呼ばれた。

コメント===>大乗の人たちも、自分たちが衆生救済を目指すのはいいのだが、だからと言って、部派仏教を小乗(小さな乗り物)と批判しなくてもいいのになぁー!仏教って、意外と宗派間での批判合戦がよく起きる!(仏に仕えている身なのに、なぜか争い多い気がする)

僧侶たちが、教理の精密化にこだわり、自分たちの世界に入り込むなか、

「いや、それじゃいかんだろ!」

との意見が出てきたことが予想される。

「仏教って、出家者だけのものだったっけ?」
「なぜ、衆生も含めて、みんなで悟りを目指しちゃいけないの?」
「もっと多くの人を救う道があってもいいではないか?」

こんな“声”から、大乗仏教は始まったのではないだろうか。

コメント===>実際は、こんな簡単なものではなかったようだ[1]。これら大乗仏教の起りは、厳密な論を唱える学者先生の論争に任せておこう。


[1] 奈良康明・下田正弘 編『新アジア仏教史02 インド II 仏教の形成と展開』、佼成出版社、第4章 大乗教団のなぞ

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