学んだ仏教

学んだ仏教

高野山大学での仏教(密教)の学習が始まった。まずは、学んだ仏教について書いていこう。そりゃ、仏教学びに授業料払って、高野山大学へ行ったのだから、書かないはずはない。

仏教をどんな順序で書くのがいいのか。悩んだ。大学の授業で学んだ順番で書くと、多分さっぱりわからない。

すでに仏教をある程度知っている方は問題ないだろうが、そんな方がこのブログを読むとは思えない。多分、高野山大学で学び始める前の私と同じレベルの人だろう。そういう前提で、多少なりとも読みやすいように、仏教の歴史に従い書いていくことにしよう。

初期仏教、部派仏教、大乗仏教、密教(初期、中期、後期)の順番かな!

言っておくが、このブログは仏教を学ぶためのものではない。内容的には、学部学生が書く授業レポート程度のものである。だから抜け落ちているところも多い。

コメント===>明らかに抜け落ちているもの。鎌倉仏教以降の日本仏教(浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗など)、チベット仏教、他にもある。要するに「学んでない仏教」だ。
さらに、私は経典をサンスクリット語、チベット語、漢文では読めない。これはかなりフラストレーションが溜まる。どこかで聞きかじった解説や部分訳を基にした知識だ。無茶苦茶不安が残る。それに、読んだ(目にした)経典の数も高々しれてる!

さらに、ちょっとズルもした。最近はAIの進歩で、漢訳経典、サンスクリット語経典をすぐに訳してくれる。その精度もどんどんあがっている。それを読んだ。

ある先生と話した。
「約80−90%は信用できますね」
私の経験からもそう思う。さらに、AIの進歩はムチャ速い。

コメント===>信仰心が分かっていない。何度も書くが、仏教は哲学的側面も強いが、やはり宗教だ。信仰が分からないときっと理解できない(と思う)。この問題は致し方ない。このブログのどこかで書くつもりだ。
「信仰」ってなんだろう。


このブログのポイントは、私が仏教について学んだとき、ここは分からないな、どう考えたらいいのだろう、どのように理解したらいいのだろう、ちょっと違うのじゃない、というごく当たり前の疑問についてだ。

なぜ疑問に思うかを考えると、その理由はいくつかあるようだ。

自分が仏教を知らない、時代背景が異なり常識が異なる、科学的背景があまりにも違いすぎる、地域性が異なる(ここはインドではない)、教理の中に矛盾していると思えるものがある。

さらに宗教としての側面があり、伝説的な奇跡とも思える事柄も多いので、「ちょっと考えるとこれおかしくない?なんで信じるの」という稚拙な疑問もある。

これらの疑問を理解してもらうために、まずは仏教が何を言っているかを分かる程度には、仏教について説明しよう。

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