「幽体離脱体験」とは、自分の意識が肉体から離れ、外部から自己の身体を眺めるように感じる現象だ。
前のブログでも書いたように、臨死体験の要素「体外離脱」としてもしばしば現れるが、必ずしもそれだけではない。
強いストレス、病気、あるいは意識の変容状態のなかで単独に生じることもある。多くは
「天井近くからベッドに横たわる自分を見下ろした」
「浮遊して部屋の外に出た」
といったものだ。古今東西に広く記録されている[1]。

神経科学は幽体離脱体験のメカニズムを脳の動きで説明しようとする。
2000年代にスイスの神経学者オラフ・ブランケらは、側頭頭頂接合部(temporo-parietal junction, TPJ)の電気刺激によって、被験者が「自分の身体を外から見ている感覚」を体験することを発見した[2]。TPJは自己と空間認識を統合する脳部位である。
すなわち、「脳内の情報処理の乱れによって幽体離脱が生じる」可能性を言っている。これは大きな進展だ!
幽体離脱体験はしばしば「金縛り」や「睡眠麻痺」と結びつく。この経験者は身近にたくさんいる。
脳は夢を見ている状態(レム睡眠)にあるが、身体は動けない。そのとき「自分が寝ている姿を外から見る」体験が現れることもある。これが夢と覚醒意識の中間状態に起こるとすれば、幽体離脱は「心身の生理的状態」によって説明可能になる。
VR技術を用いた研究も進んでいるようだ。自分の身体像を外部視点から見せられると、多くの人が「心が身体を離れる」と感じるそうだ[3]。つまり、「脳の知覚統合の仕組み」によって自然に生じうるのだ。
このように、「脳内の情報処理の乱れ」「心身の生理的状態」「脳の知覚統合の仕組み」のような、ある意味科学的な言葉によって説明できる可能性が出てきている。
一方、実際に体験した人は、幽体離脱体験は単なる「錯覚」では済まされない。
場合によっては、生き方や死生観に深い影響を与える。ある人は「肉体に縛られない自由」を覚え、またある人は「身体に戻れない恐怖」を体験する。
宗教的に考えれば、この幽体離脱の実感は、肉体と魂が別に存在する「証拠」だ。
「あなたが自分で経験したのだから、信じないわけにはいかないでしょ!」と言われると、霊魂の別存在を信じてしまう。
人間の経験は強いのだから!
科学と宗教、神経と霊魂、その境界線に立つ現象として、きっといつまで経っても決着がつかない研究が続くだろう。
[1] 宗教的伝統のなかでは、シャーマニズムの「魂の旅」、ヨーガの「アストラル体の遊離」、キリスト教神秘家が語る「霊魂の昇天」などがある。日本でも修験道の修行譚や江戸時代の怪異談に似た記録が見られる。幽体離脱は文化や宗教の枠を超えて普遍的に現れるようだ。
[2] Blanke O, Landis T, Spinelli L, Seeck M., Out-of-body experience and autoscopy of neurological origin. Brain. 2004 Feb;127(Pt 2):243–258. doi:10.1093/brain/awh040.
[3] Lenggenhager B, Tadi T, Metzinger T, Blanke O., Video ergo sum: manipulating bodily self-consciousness, Science, 2007 Aug 24; 317(5841):1096–1099, doi: 10.1126/science.1143439.
Ehrsson HH, The experimental induction of out-of-body experiences, Science, 2007 Aug 24; 317(5841):1048. doi: 10.1126/science.1142175




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