記憶が脳というハードウェアだけに宿っているなら、死とともに完全に消える。
しかし、人類の多くの伝統は「記憶や行為の痕跡は何らかの形で残る」と考えてきた。
それは「業(カルマ)」の思想であり、また「霊魂」のような話につながる。
「業」や「霊魂」は個人レベルで受け継がれるが、古来より人類に共通の記憶があると言われることも多い。
もし、「死後に続きがある」とすると、
もし、「輪廻転生がある」とすると、
『倶舎論』で、死者の五蘊(人間を構成する5つの要素で、色・受・想・行・識)である「中有」が説かれる。これは、死んだ人間が次の生まで、自分の記憶を繋げる。これは、かなり個人的な記憶・記録の保持機構だ。
唯識派では、阿頼耶識という深層の意識が説かれた。個人の過去の善悪の行い(業)が「種子」として阿頼耶識に蓄えられ個人的な記憶の保持だったが、後世では宇宙規模、普遍的な心の基盤として語られることもある。
神智学では「アカシックレコード」という全宇宙の出来事が記録された場の概念が登場した。
現代心理学では、カール・ユングが唱えた「集合的無意識」というアイデアがあり、個人を超えた深層に人類共通の記憶・記録が眠っているとされる。
これらはいずれも、呼び方や理論の枠組みは違っていても、「個を超えた記憶の場」 だ。つまり、人間は死によって完全に切り離されるのではなく、より大きな情報の流れの中に痕跡を残し続けるかもしれない、と考えている。
この「大きな記憶の場」は、どこかにあるのか。単なる空想か。それとも実際に、物理的な基盤が存在するのか。
これがこのブログの論点だ。
物理学が提示する「ゼロポイントフィールド」
ここに、科学の側から登場するのが ゼロポイントフィールド(ZPF) だ。量子物理学によれば、真空は決して「空っぽ」ではなく、常に微細なエネルギーの揺らぎが存在している。この揺らぎの場こそがZPFだ。
気になって、ネット上を調べると、ゼロポイントフィールドはなかなかの人気者だ。スピリチュアル系の人たちが多く語っていた。創造的エネルギーの源泉とか、共鳴状態を作り出すとか、生命の活力を蘇らせる作用があるとか、何もないようで全てがある場であるとか。それだけ読むと、なんだかすごそうだけれど、スピリチュアル系の人たちの想像力が豊かすぎて、ちょっと危うく感じてしまう。
ここで一応、現代物理学が提唱する考えを元にする。
ZPFそのものは実験的にも確認されており、たとえばカシミール効果(真空中で二枚の金属板を近づけると引き合う現象)は、ZPFの存在を示すとされる。
まあ、物理も間違うことはあるけれど、これを信じれば、ZPFは物理学に裏打ちされた「現実に存在する場」なのだ。
コラム:ゼロ点エネルギー。ZPFは一つの場として捉えられるが、量子力学では絶対零度(全てのものが凍結される温度で、具体的にはー273.2℃である)においても粒子は運動すると言われている。調和振動子(理想的な振り子)に対するシュレディンガー方程式(量子力学の基礎方程式)を解くと、解として自然に出てくる。どうも、何もない所で、何か起きるというのは量子力学では当たり前のことらしい。
もしZPFが「情報を保持する場」として機能するなら、それは阿頼耶識やアカシックレコードに似た役割を、物理的基盤の上で担えるかもしれない。この点を考えてみよう。
この発想は、田坂広志氏[1]から出てきた。かなり大胆な仮定だ。
[1] 田坂広志、『死は存在しない』、2022、光文社新書




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