6-0 日本密教 ー 空海・真言宗

日本密教

大乗仏教から徐々に密教が生まれてくる。もちろん、そっくり入れ替わるわけではない。一つの新しい流れができ、大乗仏教とも共存していく。

このカテゴリーでは、密教について書くつもりだ。

でも、日本では密教というと弘法大師空海が唐(中国)から持ち帰り、独自の解釈を確立し、布教した真言宗があまりにも、その存在が大きい。それを抜きには、語れない!ファンも多い!

高野山大学で仏教を学んだせいもあると思うが、空海の存在が大きい。
確かに空海は天才肌の偉大な宗教家だ。いや、単に宗教家の枠に収まらない。「プロローグ」で書いたように、湯川秀樹もベタ褒めした。とても偉大で、かつ人気者だ。
仏教の講演会や講習会で、空海の名前を入れると受講者が跳ね上がると聞く(知らんけど!)。


ということで、「密教」の章を始めるにあたり、空海のことを簡単に紹介しようということになる。
人気取りのような、下心にも思えるが、、、まずは真言密教から始めよう。

声が聞こえてくる。
「おいおい、日本の密教といえば、最澄が唐から持ち帰った天台宗(台密(たいみつ))を忘れているんじゃないか?」
確かにその通りだ。空海とほぼ同時期に最澄は唐から天台宗を持ち帰った。それに当時は最澄の方がずっと(社会的には)偉かった!
天台宗は、インド各時代の広い仏教をさまざまな理論を駆使して、『法華経』を最上位に置き、一括して理解しようとする中国独自の宗派なのだ。さらに密教的感覚で覆っている。バラバラだった仏教が、1つの体系として理解できるようになり、日本では歓迎された。
一方、空海の持ち帰った密教は、インドにおける仏教の最終段階として現れた単一の教えであり、強力だった。最澄も空海から経典を借りるなどして、密教を勉強したようだ。だが、そのうち仲が悪くなる(これは有名な話!)。
天台宗も日本に大きな影響を与えた宗派で、書かない方がおかしい。
でも、書くの怖いな〜。
多分、高野山大学では、あまり正式には習っていないためだ(と思う)。

空海@高野山大学


密教はインドで生まれ、徐々にその姿を変えてきた。日本では、初期密教、中期密教、後期密教と分類される。しかし、日本で生きている密教は、「中期密教」であり、後期密教はほとんど入ってこなかった。空海の伝えたのは、中期密教だ。


秘密の仏教

密教とは秘密の仏教と言われる。いろいろなところに書かれているが、一体何が「秘密」かを最初に書いておこう。

高野山大学のD先生に初めて教わったが、秘密には2つある。一つは如来秘密。もう一つは衆生秘密
如来秘密とは、如来の智慧や悟りの境地は、言葉や理論では説明しきれず深遠なる教えであるため、それは「秘密」という意味だ。修行と伝授を通じて体験的に明かされるのだ。

衆生秘密とは、衆生が、本来は仏と同じく清浄な仏性(=如来の智慧)を有しているにもかかわらず、それを自覚できず迷妄のなかにあるということ。すなわち、この「仏性の不自覚」が「秘密」と言うことだ。
しかし、空海はこの2つの「秘密」は、三密修行[1]によって一致し、悟りに至ると言う[2]


もっと一般的に言っても、密教は「秘密の仏教」なのだ。
密教の最大の特徴である三密(身・口・意)の行法、灌頂、曼荼羅観想などは、外部には公開されない師資相承(師から弟子への直接の授与)の「口伝」の形式で伝えられてきた。それゆえ、秘密なのだ。ただし、現在ではインターネットを見るとほとんどのことは出てくるが、、、

この日本密教に関するブログでは、日本に仏教が入ってきた経緯国家の対応から始めて、空海が始めた真言密教について書いていこう。

密教全体の話を飛ばして、空海の真言密教から入る。
これって、ちょっとおかしな書き方だ。通常は、オリジナルのインド密教を述べて、それが中国を通って、どのように日本に入ってきて、変貌していったのかを書くほうが、分かりやすく、普通の書き方のような気がする。
それを無視してもよいほど、日本では、空海の存在は大きいのだ!


[1] 三密とは「身密・手に諸尊の印契(印相)を結ぶ」、「口密(語密)・口に真言を読誦する」、「意密・意(こころ)に曼荼羅の諸尊を観想する」のことをいう。詳細はのちのブログで書く。

[2] 『秘密曼荼羅十住心論』 第十「秘密莊厳心」

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