仏教の戒律の中で、いちばん有名なものはたぶんこれだろう。
「生き物を殺してはいけない」
仏教ではこれを
不殺生(ふせっしょう)
と言う。
なんとなく分かる気がする。
むやみに命を奪うのはよくない。これは多くの人が直感的に感じることだろう。

精進料理は、不殺生に基づいた、日本の伝統的な菜食料理です
写真は黄檗山万福寺の普茶料理という精進料理(https://www.obakusan.or.jp)です。
それらしく見える「もどき料理」もあるようです。
少し考え始めると、だんだん分からなくなってくる。
私たちは普通に肉や魚を食べている。
日本では魚を食べない人の方が少ないだろう。
もっと現実的な問題がある。
漁師さんはどうなるのだろう。
魚をとることが仕事だ。
それを否定してしたら、生活が成り立たない。
農業でも同じだ。畑を耕せば虫は死ぬ。
歩いていても、知らないうちに小さな生き物を踏んでいるかもしれない。
「生き物を殺してはいけない」
という戒律は、どうも現実と合わない。
もしこの戒律を完全に守るとしたら、
人間生活はかなり大変になる。
この問題についても、いろいろな考え方があるらしい。
以前、チベット僧のW先生の講義を学外で聞いた。
その後、お坊さんを含め、聴講の方と食事に行った。
そこで、W先生は、餃子定食を頼んで、美味しそうに食べておられた。
ついつい、聞いてしまった。
「お坊さんは肉を食べていいのですか?」
答えは、
「自分が殺したものでなければ食べてもいい」
もう少し正確に言うと、
- 自分が殺していない
- 自分のために殺されたものではない
- 殺すところを見ていない
この三つがそろっていれば、食べてもよいという考え方があるそうだ。
これを聞いたとき、私は少し驚いた。
しかし、考えてみると、この考え方は妙に現実的でもある。
その時、W先生が高野山大学の授業で、いつも言われていたことを思い出した。
「何かをするとき、その動機(意図)が大切である」
不殺生で、仏教が問題にしているのは、
「食べること」
そのものではなく、
「殺す意志」
なのだろう。
仏教の戒律では、行為には必ず
「意図」
が関係していると言われる。
怒りの心で人を傷つける。
欲の心で人の物を取る。
こういう心の働き(意図)が問題だ。
漁師さんの仕事についても、少し見方が変わる。
漁師さんは魚を捕るが、それは多くの場合、生活のためである。
誰かを恨んで魚を捕っているわけではない。「殺したい」という衝動ではない。
もし仏教が「魚を食べてはいけない」と強く言ったら、
お寿司屋さん、天ぷら屋さん、もちろん漁師さんも困る。
すると、仏教は絶対広まらない。
仏教の戒律は、
現実と折り合いをつけながら作られている
ような気がする。
知らんけど!



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