14-1お経の謎

大量の経典 仏教、ここが分からん
大量の経典

大量のお経

全く仏教を知らずに学び始めて、驚いたことがある。
経典の量が無茶苦茶多い。
『法華経』、『大日経』、『般若心経』ぐらいは知っていた。
しかし、そんなものではない!べらぼうに多い!

漢訳経典を集めた大正新脩大蔵経[1]と言うのがあり、経・律・論[2]に加え、中国や日本の僧侶の著作、伝記や歴史分類された膨大な文献がそこに収められており、全100巻、約3500部の文献[3]にのぼる。「どうして、こんなに多いのだ!」

大正新脩大蔵経(全百巻)一部


いくらお釈迦様でも、そんなにたくさんのことを説いたのだろうか?
初期仏教、部派仏教、大乗仏教、そして密教[4]まで、時間を超えている気がしてくる。

歴史上のブッダは、紀元前五世紀ごろに北インドで活動した実在の人物だ。
当時は文字による記録をすることなく、基本的に口伝だ。
弟子たちが覚え、繰り返し唱えることで教えを伝えていった。
ここまではいいだろう。

ここで少し具体的に考えてみる。
理系で例えると、論文1本で10〜20ページだとすると、論文1万〜2万本分ぐらいになる。一人の科学者が一生で200本書いたとすると、約100人分だ。
約300ページの小説にすると、約4,000冊ぐらい。
一日3時間読んでも、読み終えるのに二十年以上かかると言われている。
つまり、若い僧侶が修行を始めて、老僧になる頃にやっと読み終える分量だ。
読んだからと言って、理解しているわけではないが、、、
ともかくすごい分量なのだ。

もちろん仏教史を少し学べば、この疑問はそれほど難しくはない。

情けないが、それぐらい、私が何も知らなかった、ということだ。

ブッダが亡くなったあと、弟子たちは仏陀が説教し、自分たちが記憶していた教えを整理し、まとめた(このブログ、「4-0 部派仏教」でも書いたので、気が向けば読んでね)。
さらに時代が下ると、大乗仏教の「空」思想や「唯識」思想がお経として作られ、多くの解説書(論書)がつくられたが、それらも経典としてまとめられていった。
つまり現在の仏教経典の多くは、ブッダ本人の言葉というより、後世の仏教者たちの思索の積み重ねなのである。
仏陀が一人で書いた(説いた)ものではないのだ。

そう考えると、大蔵経は
「数百年にわたる仏教思想の巨大な共同研究」
と言った方が近いのかもしれない。


お経は誰が書いたのだ

そしてさらに驚くことがある。
漢訳経典の最初には、ほぼ必ず「如是我聞」と書いてある。
「私はこのように聞きました」
ここでいう「私」とは仏弟子の一人アーナンダだ[5]
誰から聞いたか、というとお釈迦様から聞いたというのだ。
すなわち、全てお釈迦さま一人がおっしゃったことなのだ。
弟子は、お釈迦様から聞いたことを、お経として書き残した、というのだ。

「え〜〜、こんな多くのことを、時代を超えて一人の人間が説いたとは信じられない」

『妙法蓮華経 序品第一』、如是我聞で始まる

コラム:釈迦の十大弟子。それぞれ、特技があった。漢字名(読み、サンスクリット音写)、特技を示した。舎利弗(しゃりほつ、シャーリプトラ):智慧第一、目連(もくれん、マウドガリヤーヤナ):神通第一(超能力)、摩訶迦葉(まかかしょう、マハーカーシャパ):頭陀第一(苦行・清貧)、須菩提(しゅぼだい、スブーティ):解空第一(空の理解)、富楼那(ふるな、プールナ):説法第一、優波離(うばり、ウパーリ):持律第一(戒律)、阿那律(あなりつ、アニルッダ):天眼第一、羅睺羅(らごら、ラーフラ):密行第一(精進・行)、阿難(あなん、アーナンダ):多聞第一(聞き覚え)、迦旃延(かせんねん、カーティヤーヤナ):論議第一(議論・説明)


なぜ多くの経典が「仏がこう説いた」という形で書かれているのだろうか。
これも調べてみると、当時のインドではそれほど珍しいことではなかったようだ。
宗教や哲学の教えは、しばしば「聖者の言葉」として語られる形式を取ったという。
著者の名前は書かない!

いわば一種の文学スタイル

当時のお坊さんたちは、現代の感覚で言えば、謙虚だったのかもしれない。今なら、自分の書いたものは、知的産物として、著作権を要求する。

そう思って読むと、経典の冒頭に必ず出てくる有名な一文、
「如是我聞(このように私は聞いた)」
という言葉は、少し違った印象を持ってくる。

最初に読んだときは、まるで録音記録の書き起こしのように感じたが、どうやらそう単純ではないようだ。
ちょっと、無謀に言えば、
「この教えは仏の教えの流れの中にある」
という宣言文句、権威付なのだ。

仏教は、最初から完成された体系として存在していたのではなく、長い時間をかけて発展してきた思想で、それが、お経という形で残されていったのだ。

まあ、科学でも、偉い科学者が一人で作り上げたわけではない。
例えば、量子力学なら、ボーア、ハイゼンベルグ、パウリ、シュレディンガー、ディラックなどなど、何人もの偉い科学者が、研究を重ね、理論を広げ、時には修正しながら現在の体系ができたのだ。

もちろん、科学と仏教を同じものと考えることはできない。
しかし、仏教経典を「思想の歴史」として眺めてみると、その膨大さも少し納得できるような気がしてきた。


[1] 中国では、北宋(971)木版大蔵経をはじめとして、清の時代までに8つの漢訳大蔵経が作られている。また、パーリ三蔵(南伝)、チベット大蔵経(後期密教)もある。

[2] 経はお釈迦さまの説いた教えで経典、律は出家者の生活の規律、戒めをまとめたもの、論は経や律の内容を整理し、解説したり議論したりした文献。三つをまとめて「三蔵」と呼ぶ。

[3] この中には、中国・日本の注釈書(疏・史伝など)も含まれる。「経・律・論」の数だけで言えば、経は約 1420、律は約 84、論は約 188となる。

[4] 大正新脩大蔵経には、後期密教系の経典、例えば、ヘーヴァジュラ・タントラ、チャクラサンヴァラ・タントラ、グヒヤサマージャなどは含まれていない。ほぼ中期密教までだ。中国で翻訳が止まった。

[5] 釈迦の時代では、お経は口伝でした。そのため、齟齬が出始める。ブッダ入滅直後に、約500人の阿羅漢が集まり(第1結集)、正確に保存するためにアーナンダが経(スッタ)を暗唱、ウパーリが律(ヴィナヤ)を唱えたらしい。このため「如是我聞」の我はアーナンダと言われている。

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