仏教に興味があり、約4年間高野山大学で学んだ。
その間、断片的にインド思想の流れ、もう少し細かく言うと、仏教とインド哲学との論争について聞いた。これを聞いていて、思った。
「インドでは仏教が全てではない!」
「大雑把には、バラモン教→ヒンドゥー教の流れと仏教の流れの2つだろう」
お互いの宗教にお互いの神様が現れる。
この2つは、大きく影響し合いながら、進んできたのだろう。
さらに、密教を学んでいると、
初期密教では、仏教が大きくヒンドゥー教の影響を受けたとか、
ヒンドゥー教では、仏陀はヴィシュヌ神の第9番目の化身だとか、
仏教の曼荼羅には、多くのインドの神様が仏教の天として描かれていたりとか、
釈迦は悟った直後は、みんなに悟りを説法するのを嫌がるが、梵天(インドの創造神だ!)の言うことを受け入れ、説法を始めたとか、
ヒンドゥー教の影響みたいなものが、いろいろなところで出てくる。

インドの神々。https://note.com/wings2fly/n/na2a66550c07f
ある先生は、言われた。
「ヒンドゥー教を知らないと、仏教は理解できない」
そんなこともあり、仏教とヒンドゥー教の関係が頭にこびりついていた。
ある授業で、高野山大学のD先生に聞いた。
「仏教は、ヒンドゥー教の一つですか?」
答えは、
「む〜〜、どうでしょかね」
否定はしない。
しかしながら、教室を見回すと、
「そんなことあるわけないでしょ、仏教とヒンドゥー教を一緒にしないで!」
と言うような雰囲気が溢れていた。
どうも、日本ではヒンドゥー教と仏教は別物と思われている雰囲気が強い!
高野山大学卒業後、種智院大学の聴講生となった。そこでM先生のインド哲学概論の授業を受ける機会を得た。ヴェーダの思想、ウパニシャッド哲学、自由思想、仏教やジャイナ教の発生、仏教の哲学化と同時に六派哲学の興隆、仏教と六派哲学の論争などインドにおける思想の流れをお聞きした。
すぐには理解できない考えや、複雑な流れがあり、理解に時間がかかったが、なんとなく、今まで引っかかっていたものが、少し整理できるようになった。
(まあ、正直なところ、まだ曖昧なところが多いのだけれど、、、)
M先生の授業は立川武蔵、『はじめとのインド哲学』、講談社現代新書、1992をもとにしたものだった。よくまとまっていて、流れを理解しやすい。
「昔は、この本[立川武蔵,1992]しかなかったが、そろそろインド哲学を見渡す本が出てきた」
先生が口を滑らしたこともあり、部屋まで押しかけて行って、
いくつか参考書[1]を教えてもらった。
ほとんどが、解説書だが、読んでみた。
インド哲学の流れは、少しわかった。
でも、「面白くない!」
なぜかな、と考えると、
ほとんどが、論理学、認識論、実在論、言語論、自我論だ。
議論も細かい、かつ屁理屈のようなものもある。
議論のためのような議論も多い!
M先生のところに行って
「先生、あまり面白くないです。議論のためのような議論、屁理屈のような議論が多く、テーマも限られている」
先生は、笑いながら言われた。
「いや、その通りです。」
「それを楽しめないと、インド哲学は面白くないです」
「この議論、こう来たか!」
「あ、それをこう返すのだ!」
と
「楽しむのです」
とのこと。
納得!
細かいことは、頭に入らなかったが、M先生の授業といくつか読んだインド哲学の解説書をもとに、独断的に、仏教とインド哲学の関係、特に仏教へのインド哲学の影響を書いてみることにした。
いつものように、独断的で、偏見もありそうで、間違いも多いと思うが、、、
[1] ロイ・W・ペレット、加藤隆宏訳、『インド哲学入門』、2023
『インド哲学の万華鏡』編者:片岡啓、衛山真也、監修:桂紹隆、春秋社、2025
吉水清孝、『インド思想史』上下、春秋社、2026 など



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