15-4-4 バラモン教の取り込み

バラモンの取込 仏教とインド哲学
バラモンの取込

前回最後に、「次回は、六派哲学の流れから、インド思想を見ていきたい」と書いた。
しかし、前回からの流れで、「六派哲学」に入る前に、「バラモン教の取り込み」について考えてみる。「六派哲学」は次回にしよう。

前のブログで、「もともと各地で信仰されていた神々や英雄信仰が、長い年月をかけてバラモンの伝統と融合していった」とか「バラモン教がシヴァ教、ヴィシュヌ教、地方信仰などを、排除せず、取り込んだ」というような表現をとった。

「バラモン教が他宗派を取り込んだ」とはどういう意味なのか。
よくわからない〜〜〜。少し調べてみた。

確かに「取り込む」という表現はしばしば見られる。
しかし、
誰かが会議を開いて、「今日からシヴァ教を認める」と決めたわけではない。
キリスト教の教皇のような宗教全体を統括する組織もなかった。
すなわち、「取り込む」とは制度上の決定ではない。
むしろ、何百年にもわたって自然に進んだ文化的・宗教的な融合なのだ。

当時のインド各地には、山の神、村の守護神、母神、英雄神など、地域ごとにさまざまな信仰があった。
バラモンたちはそれらを排除せず、
「この神はシヴァの現れである」
「この英雄はヴィシュヌの化身である」
というように、ヴェーダの世界観の中に位置づけしていった。

さらに、『シヴァ・プラーナ』や『ヴィシュヌ・プラーナ』などの神話が作られ、地方信仰の神さんが、宇宙創造や世界維持に関わる壮大な神さんとして語られる。
新しくシヴァ寺院やヴィシュヌ寺院を建設し、バラモンが祭司を務めた。
つまり、神話・祭祀・哲学が少しずつ共通化していったのだ。

コラム:プラーナ:上に書いた『シヴァ・プラーナ』や『ヴィシュヌ・プラーナ』などの神話についてちっと説明しておく。プラーナは、ヴェーダの難解な思想を神話や物語として語り直した宗教文学だ。単なる神話集ではなく、各地の神々や英雄をシヴァやヴィシュヌと結びつけ、多様な信仰を共通の宗教文化へと結び付けたのだ。バラモン伝統と地方信仰との融合を進めた立役者の一つがと考えていいようだ。

もちろん、ここでシヴァ派やヴィシュヌ派が「バラモン教になった」わけではない。
きっと、8世紀頃のインドで「あなたは何を信仰していますか」と尋ねれば、多くの人は「私はシヴァ神の信者です」「私はヴィシュヌ神を信仰しています」と答えたと予想される。「私はバラモン教徒です」と答えなかった。知らんけど。

一方、彼らは共通の宗教文化の共有を始める。

例えば、
ヴェーダを権威ある聖典と認めること
解脱を人生の究極目標と考えること
バラモン祭司が儀礼を執り行うこと
サンスクリットの神話や聖典を共有すること

言い換えれば、
「宗派は違うが、同じ宗教文化圏に属するようになった」
そんな雰囲気ができたと考えられる。
先にも書いたように、このような多様な宗派が共存する宗教文化全体を、19世紀以降、イギリス人が 「Hinduism(ヒンドゥー教)」 と呼び、次第にインド人自身にも受け入れられていった。

バラモン教が他宗派を取り込んだ」とは、多様な信仰がそれぞれの個性を保ちながら、一つの共通した宗教文化を築き上げた長い歴史的過程を指す言葉のようだ。

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