15-3 沙門(シュラマナ)運動と六師外道

沙門と六師外道 仏教とインド哲学
沙門と六師外道

沙門(シュラマナ)運動という大きな思想的・宗教的潮流が、紀元前6−5世紀ごろから始まる。
バラモンの権威に反発する自由思想家が出てくる。

六師外道。中国四川・重慶地方の石窟彫刻、https://zh.wikipedia.org/zh-tw/六師外道


1.沙門(シュラマナ)運動とは何か
「沙門(śramaṇa)」とは、もともと修行者、遊行者、出家修行者という意味だ。
彼らは、従来の形式的なヴェーダ宗教・バラモン祭式に対して、
「供犠や呪文では、本当の解脱には至らない」
と言い出し、瞑想、苦行、哲学的探究、倫理実践を訴えたのだ。
まさにゴータマ・ブッダ(釈迦)やマハーヴィーラの時代。

この時代には、仏教経典には、当時有名だった六人の自由思想家が登場する[1]

仏教側から見て「仏教以外」なので、六師外道と呼ばれただけで、変な人たちではない。「外道」という言葉はかなり仏教側からの評価を含むため、現代では「六派の代表思想家」と呼び、中立的に見ることが多い。

ここで簡単に六師外道を見ておこう。

① プーラナ・カッサパ:「行為無効論」
彼は、善悪の行為には本質的意味がない、と考える。
たとえ、殺しても、施しても、究極的には功徳も罪も生じないとした。
仏教は、業(カルマ)、行為の倫理性を重視するので、かなり対立する。

② マッカリ・ゴーサーラ:「宿命論」
すべては運命によって決まっており、修行してもしなくても、輪廻の流れは変わらないとする。強烈な決定論だ。
仏教が重視する努力、修行、因果変化と反対するため、対立する。

③ アジタ・ケーサカンバリン:「唯物論・快楽主義」
人間は四元素から成り、死ねば完全消滅する。死後世界も業もないと考える。かなりラディカルな唯物論だ。
仏教は輪廻を認めるため、この考えも仏教とは大きく異なる。

④ パクダ・カッチャーヤナ:「七要素常住論」
世界は、地、水、火、風、苦、楽、生命などの永遠不変要素から成るとする一種の原子論・実体論だ。
仏教の「諸行無常」とは異なる考えで、対立する。

⑤ ニガンタ・ナータプッタ:「苦行主義」
業は物質的に魂へ付着する。激しい苦行によって業を焼き尽くし、解脱すべきとする徹底した禁欲主義で、かつ不殺生を極端に重視した。
仏教に近い部分もあるが、最終的にはブッダは極端苦行を否定した。

⑥ サンジャヤ・ベーラッティプッタ:「徹底懐疑論」
「死後はあるか?」→ 分からない。「魂はあるか?」→ 分からない。判断停止を徹底した。ある意味、哲学的には非常に高度なものだ。
仏教は「苦の克服」という実践的立場を取り、懐疑的でなく、異なる考えをとる。

これら、六師外道を見ると、現代哲学にもあるような立場が、すでにこの時代にほぼ出そろっている。

インド哲学恐るべし!

仏教は、これらとの激しい思想競争の中で紀元前5世紀ごろ形成された。

後で見るバラモン系のインド哲学(六派哲学)との論争においても、仏教は鍛えられる。

インドは、論争の歴史だ!

この中で、仏教の立場の特徴をあえていうなら、中道だろう。
ブッダは、宿命論でもない、快楽主義でもない、極端苦行でもない、懐疑停止でもない「中道」を打ち出した。つまり仏教は、当時乱立していた極端思想への批判的応答として成立した側面が強いと言えるかもしれない。


[1] https://ja.wikipedia.org/wiki/六師外道、『長阿含経』巻17、第二十七「沙門果経」(T01, no.1, p.107c–114b)

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