12-3-1 信仰(1)宗教としての仏教

宗教としての信仰 科学的違和感
宗教としての信仰

4年間、高野山大学で仏教を勉強して、いつも思っていた。
仏教は哲学か宗教か?すでに多くの人が語っている。両方の側面がある。
自分自身は、哲学としての仏教、論理的な仏教に惹かれて、それを学び始めたが、やっぱりそれだけでは仏教は分からない。

学友の一人に、熱心な信者の方がいる。哲学としの仏教への理解も深い。でも、最後は信仰[1]だと言い切る(少なくとも私にはそう聞こえる)。


彼女は悪魔のような顔で言う、

「お前は、信仰ないからな〜〜」

「W先生はお前を見透かして、目をつけているわ」

「信仰がなければ、わかるわけないよ〜」

厳しい目で、見つめる!


弘法大師空海は日本真言密教の始祖であり、信仰の対象だ。
有名な四国遍路の話を聞いていても、信仰が中心だ。仏教の難しい教理には興味なくてもみんな信仰は厚い。
あるとき、四国・香川のK寺で、有名な仏教学者の先生のお話を聞いた。講演が終わった後、地元のおばあさんが聞いた。

「わしは、長年お大師様を信仰しているが、意味さえもわからずお経を唱えている。これでいいのかね〜」

「それでいいのです。無心にお経をお唱えすれば、救われるのです」

仏教教理なんて、全く関係ない話だ!
でも、これも仏教(真言密教)だ。
おばあさんには、染み込んでいる!

僧侶の信仰:大学の先生も半数は僧侶だ!日本の僧侶の方は、歴史的な経緯もあり、妻帯するし、酒も飲むし、肉も食べる。海外の僧侶の方は、びっくりするようだ。
日本では、江戸時代にキリシタンの取り締まりと地域社会の監視の目的で、檀家制度が整えられた。民衆はどこかの仏教寺院に所属し、寺は檀家の葬式や法事を行なった。寺も代々世襲制が当たり前になり、妻帯がごく普通のこととなる。
社会制度との兼ね合いで、仕方なかったようなので、まあそんなもんかと思ってしまう。
でも、僧侶の方は、戒律はブッダの時代とは変わっても、きっと信仰を持っておられる(そうでないと困る)。

これまで私が考えてきたのは、仏教の哲学的なところばかり。
しかし、やっぱり、仏教を学ぶ上で、信仰の問題は避けて通れない。
一念奮起して、考えることにした。

(考えたところで、信仰に近づくとは今のところ思えないが、、、)
まだまだ、この問題は続きそうな気がする。


[1] 信仰と信心の使い分けはわかっていない。ここでは信仰という言葉を用いるが、信心との差異は考えていない。

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