14-3「欲」ー なくすべきもの?

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欲が襲ってくる

仏教の本を読んでいると、よく出てくる言葉がある。
「欲をなくす」

仏教では、欲が苦しみの原因だと言われている。

正確に言うと、ただの欲というより、「執着した欲」が問題だとされるようだが、

ともあれ、

私のような「欲望満載」「煩悩満載」人間には、普通に困る。

お腹が減るとご飯が食べたくなる。
これは食欲だ。

面白い現象があれば、研究をしたくなる。
研究者などは、ほとんど知的好奇心という欲で動いている。
欲がなくなったら、研究どころではなくなる。

「欲をなくす」
という言葉は、どうも人間の現実と合わない気がする。

そこで仏教の先生に聞いてみたことがある。

すると、種智院大学のS先生はこう言われた。
「欲をゼロにするというより、コントロールすることが大事です。」
なるほど、それなら分かる気がする。

確かに欲が暴走すると困る。
食欲が暴走すれば食べ過ぎるし、怒りが暴走すれば喧嘩になる。
人の高価な宝石が欲しくなれば、つい良からぬことも考えてしまう。
だから欲に振り回されないように、
コントロールというのはとても現実的な話である。

一方で、高野山大学のM先生の『理趣経』の本を読むと、こんなことが書いてある。
「無我の立場から見れば、欲望は浄化され、清らかな力としてはたらく」
「欲をなくす」と言っていたはずの仏教が、今度は
「欲は力になる」
と言い出す。

ちょっと混乱する。
仏教は
欲をなくすのか。
欲をコントロールするのか。
それとも、欲を利用するのか。

どう考えよう!

そこで最近は、こう考えるようになった。
もしかすると仏教は、
欲そのものを単純に否定しているのではない。
問題なのは、
欲に振り回されること、そしてそれにしがみつくこと。

例えば、怒りだ。
怒りという感情そのものは、誰にでも起きる。
しかし、それに完全に支配されると、人は良からぬ行動をしてしまう。

欲も同じだ。
欲があること自体は、人間として自然である。
しかし、それにしがみつき、思い通りにならないと苦しむ。
そこに問題が生まれる。


そう考えると、仏教のいろいろな説明を少し整理できる気がする。
1)初期仏教では、
欲に振り回されないようにすることが重視される。
そのため、欲を弱める、消す方向の教えが多い。

2)大乗仏教になると、
欲をどう扱うかという視点が広がり、
「煩悩即菩提」という考えも出てくる。
煩悩を単に消すのではなく、その本質を見抜くことで、悟りへと転換するという発想である。

3)密教になると、さらに一歩進んで、
欲(強いエネルギー)、さえも修行に取り込もうとする。

無我や空の理解が必要な、かなり高度な話でもあるようだが、、、

こう考えれば、仏教は
欲を単純に否定しているわけではなく、
欲というエネルギーとどう向き合うかを、
ずっと考えてきたのかもしれない。

仏教による欲の扱いの進化(by Chat GPT)


私が混乱するのも、あまり不思議ではない気がしてきた。

どうも仏教というのは、
一つの答えをきれいに教えてくれる宗教というより、
人間の心のややこしさを、そのまま観察してきた宗教らしい。

そして最後には、
「さて、あなたはどう見る?」
と問い返してくる。

……結局、自分で考えろ、ということか。

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