ブログを書くとき、いろいろと調べる。
今は、職業学者の時ほど厳密に調べることはないが、どうもその癖は抜けない。「科学技術と宗教」、特にキリスト教との関係を書いたとき、どうも気になることがあった。
地動説の発展プロセスだ。
科学史という分野はあるのだが、自然科学の分野では、どうも現在信じられている説、理論、実験が示されることが多い。どのように確立されてきたかについては、あまり述べられることはない。
面白くないのだろう!
でも、「地動説の発展プロセス」は、知ると面白い。
知らない人もいるかもしれないので、簡単に書き残しておくことにした。
誰が地動説を唱えたのか?
「地動説を誰が唱えたか?」と聞くと、
「それは、ガリレオでしょう。宗教裁判にかけられたのは有名ですよ」
多くの人が、そう答える。
「じゃあ、あなたは「コペルニクス的転回」という言葉をご存知ですか?」
すると、
「それはね」
「天文学者コペルニクスが地動説を提唱したことに由来し、物事の考え方や視点が根本から覆されるような発想の大転換を示すことばですね[1]。」
と答える人がいるでしょう。
誰が地動説を成立させたのだ!
追ってみたくなった。
地動説を成立させた役者たち
1)コペルニクス
コペルニクス(1473–1543)が発想の転換をして、「地動説」を最初に唱えたようだ。
しかし、彼が地動説を確立したわけではない。
彼の時代には、火星の逆行など惑星の奇妙の運航は知られていた。
それらを説明するため、周転円、偏心円、等速点など惑星の特異な運動[2]が考えられた。
その状況で、コペルニクスは思った。
「これはおかしい!地動説にすると、惑星運動を綺麗に説明できるのに!」
それで、地動説を提唱した。
ただ、明確なエビデンスはなかった[3]。

Heliocentric universe (太陽中心宇宙)
アンドレアス・セラーリウス(1661)
2)ブラーエ
次に、ブラーエ(1546–1601)の観測が現れる。
彼は裸眼と巨大装置を使って天体観測したのだが、その精度がすごかった。
しかし、彼は地動説をとらなかった。
なぜなら、恒星の年周視差[4]が観測できなかった。
「地動説だと近い星と遠い星の位置が年によって少し変わるはずだ」
「しかし、観察しても変わらない。それは星がとても「遠く」にあるせいだ」
「一方、星は肉眼で円盤状に見える(現在では、光学的錯覚と知られているが)。これは星がとても大きいためである」
すなわち、
「そんな遠距離でも大きく見えるからには、星は太陽より非常に巨大でなければならない」
→「そんな宇宙は、地球が動くより不合理だ!」
「やっぱり、地球は動かないと考えるべきだ」
と考え、ブラーエは地動説をとらなかった。
「太陽は地球の周りを回り、他の惑星は太陽の周りを回る」
という折衷案(ティコ体系)を提唱したのだ。
ついに、ケプラー(1571–1630)とガリレオ(1564–1642)という、地動説の立役者が現れる。
3)ケプラー
ケプラーはブラーエの助手であり、後継者だった。
彼はブラーエの素晴らしい超精密データを引き継ぎ、
ケプラーの三法則[5]を導き出した。
中でも、惑星の軌道は円ではなく楕円だと見抜いた。
これが決定的だ。
地動説の導入により、火星の逆行など観測との一致が劇的に向上した。
これにより、昔からの哲学的信念「天体は完全な円運動」を完全に打ち崩した。
しかし、問題が残った。
楕円説だけでは「太陽中心かどうか」を直接決められない。
地球中心でも理論は作れてしまうのだ。
この問題は、後に述べたい。
その前に、ガリレオの登場を見てみよう。
4)ガリレオ
同時期に、ガリレオが現れる。
彼は、望遠鏡を天体観測に取り入れた[6]。
ただ、当時ガリレオの望遠鏡観測の精度は、ブラーエの観測より、かなり低かった。
すごいのは、望遠鏡の応用により、肉眼では見えなかったものが見えたのだ。
- 木星の4つの衛星(ガリレオ衛星)、
- 金星の満ち欠け、
- 月の表面の凹凸など
これらの観測は、精度は低いのだが、視覚的インパクトが絶大だった。
月に山がある
木星に月(衛星)がある、など、、、
これまでの宇宙観が崩壊する。

木星の4つの衛星 (https://starwalk.space/ja/news/jupiter-galilean-moons)
4−1)宣伝の上手いガリレオ、宣伝の下手なケプラー
ガリレオが書いた『星界の報告』は、望遠鏡という新技術が受け、ヨーロッパ中で大ベストセラーとなる。
ラテン語ではなく、一般知識人が読めるイタリア語でも書いた。
ガリレオは、みんなに地動説を「信じさせた」
一方、ケプラーの理論は浸透しにくかった。
楕円は、完全な円から外れ、哲学的に不人気だ。
さらに、数学が難しく、難解な議論などを、誰も読んでくれない。
でも、ケプラーは、地動説を「科学にした」
4−2)科学だけで、ものは決まらない!
科学以外の観点も重要であることを思い知らされる。
宗教・哲学的には、ガリレオは教会と衝突を引き起こした。
これで、地動説は神学問題になった。
裁判では負けたが[7]、よく言えば、世間の話題になった!
社会的に見ると、地動説は単なる天文学ではなく、人間の位置を変革したのだ。
地球は中心ではない。人間も特別ではない、と言い出したのだ。
世間にあたえるインパクトは、絶大だ。
ただし、地動説はまだ完成していない。
ついに、ニュートン(1642-1727)が現れる。
5)ニュートン
万有引力の法則を発見した。
そこからケプラーの法則が必然的に出ることを証明したのだ。
その意味で、最終的に地動説を決定づけたのは、万有引力だ。
万有引力をベースに、観測結果である惑星の軌道から、太陽や惑星の質量が決まる。
太陽の質量は99.86%となる。
この結果より、共同重心[8]は太陽のなかに存在し、実質的には太陽を中心にすべての惑星は運航するように見える。
逆に、共同重心が決まると、太陽も含めた惑星の軌道が求まる(計算できる)。
観測に完全に一致する。
こうして、すべてのことが矛盾なく説明ができる。
これが、科学が求める証明かもしれない。
科学は地を這う学問だと良くわかる。
6)地動説における役割は
アイデアは、コペルニクス
最も劇的だったのはガリレオ
科学として成立させたのはケプラー
完成させたのは、ニュートン
という言い方もできる。
その成立に200年ほどかかっている。
世の中で、いつでも、どこでも起こりそうな話だ!!!
[1] 18世紀に活躍した哲学者・カントが提唱した「人間が物を認識しているのではなく、物が人間に合わせて存在している」という考え方です。
[2] 周転円、偏心円、等速点は、古代の天動説において惑星の複雑な動きを説明するために考案された概念です。
[3] 『天球の回転について』で、地動説を提唱したのが1543年。迫害を恐れ、死の直前に出版しましたと言われています。
[4] 地球が太陽の周りを回ると、星の見かけの位置が季節で変わります。これを恒星の年周視差というが、当時の精度では、観測できなかった。
[5] 1. 楕円軌道の法則、2. 面積速度一定の法則、3. 惑星の公転周期の2乗は、軌道長半径 (太陽からの平均距離) の3乗に比例する。
[6] 望遠鏡は、ガリレオが発明したのではなく、彼が初めて天体観測に利用したと言われています。
[7] 1633年、ガリレオは2度目の異端審問にかけられた。この裁判は非常に厳しいもので、最終的にガリレオは「地球が動くという説を放棄する」という謝罪文に署名し、火刑だけは免れて禁固刑となった。
[8] 共同重心とは、複数の物体が互いの重さのバランスを取りながら回転運動をする際の、仮想的な中心点を指します。



コメント