私は高野山大学に行くことに決めた。
理由はちょっと不純だった。
これまでと専門は違うが、今まで大学にいたのだから、なんとなくとっつきやすい。
勉強は得意な方ではないが、まあ40年も学者をやってきたのだからなんとかなる。
さっきも書いたが、爺さんや婆さんが多いが、新たな人間関係が生まれるだろう(自分が爺さんだというのをすぐ忘れる)。
勉強すれば、新たな知識を得てどこかで発表できたら、きっと緊張感も出てくるだろう。
最も不純だったのは、「発表」=「本」と考え、人生の新たな成果を出せるのではないか?
これが、この本を書いている理由である。下心満載である。売れる本を書いて、ちょっとした売れっ子作家にでもなれないかと甘い夢を見ていた。まあ、そんなことは起こらないとは思いつつも、超能力獲得よりは確率高いなと密かに期待していた。
ここで皆さんは、疑問を感じるだろう。
敢えて、高野山大学という仏教を教えてくれる大学に、行く必要はないのではないか?仏教である必要はないのでは?考えるとその通りだ。親父が寺の出身だと言っても、私は信仰心もない。仏教に対するなんの知識もない。元々歴史や語学など文系科目は不得意だ。
ではなぜ?さらに不純な理由があった。
仏教が日本に入って約1400−1500年経つが[1]、日本の長い歴史を支えてきた思想的拠り所である。明治になって少し変な方向(廃仏毀釈)に行ったが、この長い間、日本の政治や思想を支えてきたのは仏教だ。やっぱり仏教を知らないと日本は語れない。以前にNHKで見た源氏物語をベースにした大河ドラマでも、色んな政や儀式が仏教の教えをもとになされている!世界に出た時、日本人が仏教を語れないのはおかしい。海外で「無宗教」というと、かなり怪訝な顔で見られる。仏教を学んで、文化人になろう!
流石に、ここまで書くと自分の浅はかさが見えてくるが、、、
退職後の生活について、最後に言っておきたいことは、動機は不純でもいい。取り敢えず、動こう!
[1] 日本へ仏教が伝来したのは、6世紀半ばの「欽明天皇」の時代である。朝鮮半島の当時の百済からである。

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