15−4−2 バラモン教からヒンドゥー教へ ― 実は支流の流れこむ大河だ

仏教とインド哲学

前回、インド思想の歴史を1本の道として描いた。
簡単には、ヴェーダ宗教 → バラモン教 → ウパニシャッド → 沙門運動 → ヒンドゥー教
これは、嘘でないが、単純化しすぎだ!
研究者のM先生に言わせると、「実際はそんなに単純ではない!」となる。

今回から、これに肉付けをしていく。
まず一本の道として理解し、その後に「実は途中にはたくさんの分岐・合流がある」ことを学ぶ方が、きっと理解しやすい。
少なくとも私はそうだ!
では、その「分岐・合流」を見ていこう。

前回は、沙門運動のあとに「ヒンドゥー教」と書いた。
しかし、本当はその間に何百年にも及ぶ大きな変化がある。

その変化を支流が流れこむ「大河」にたとえよう。
下流へ向かうにつれ、多くの支流が流れ込む。支流が合流すると、その水はもう区別できなくなる。バラモン教の変化もそんな感じだ。

みんな取り込む。なんか、インド的!

ウパニシャッド思想がまず加わる(前700年ごろ)。
祭式を重視していたヴェーダ宗教に、「私は誰か」「世界とは何か」「解脱とは何か」という哲学的な問いが出てくる。

さらに「沙門(śramaṇa)運動」が、前600年ごろから始まる。沙門(śramaṇa)とは、もともと修行者、遊行者、出家修行者という意味だ。彼らは、形式的なバラモン教に対して、「供犠や呪文では、本当の解脱には至らない」と言い出し、瞑想、苦行、哲学的探究、倫理実践を訴えたのだ。まさにゴータマ・ブッダ(釈迦)やマハーヴィーラの時代だ。

バラモン教は沙門運動に負けて消えてしまうことはなかった。
むしろ、その問いを受け止め、自らも変化した。

偉い!

変化したのは、考え方(哲学)だけではなく、宗教そのものも変わってく。
各地では、シヴァを信仰する人々や、ヴィシュヌを最高神と考える人々も現れる。さらには、各地域に守り神があり、女神への信仰があり、蛇神や山の神への信仰などの地方信仰もあった。

バラモン教のすごいのは、それらを排除することなく、取り込み、自分たちの宗教世界の中へ位置づけていったのだ。
「この神も真理の現れである。」
「この地方神も宇宙の秩序の中にいる。」
そうして多くの支流(シヴァ教、ヴィシュヌ教、女神信仰のシャクティ派など)が大河へ流れ込んでいったのだ。

シヴァ教、ヴィシュヌ教を信仰している人が、私はヒンドゥー教徒だと言うことはないようだ。私はシヴァを信じている、ヴィシュヌを信じている、と今でも言うようだ。では、ヒンドゥー教って、何なのだろう。後で考えてみる。

思想(哲学)の世界でもまあ、状況は同じだ。
六派哲学も、一つの学派ではなかったようだ。よく、インド哲学=六派哲学のように書かれるので、ついつい六派哲学は1枚岩のように思ってしまう。違うようだ。

これものちに述べるが、論理を研究する学派があり、自然を考える学派があり、修行法を重視する学派があり、祭式を研究する学派があり、本当に色々あったようだ。成立時期も各派により異なる。
そして、互いに激しく議論している。

インド人って、本当に議論が好きだ!

六派哲学も一本の道ではなく、多くの支流があったのだ。
その中でも、ウパニシャッドの思想を深く受け継いだヴェーダーンタ学派が、後のヒンドゥー教思想に大きな影響を与えることになる。

私は以前、「バラモン教がヒンドゥー教になった」と単純に理解していた。
いや、理解しようとしていた。
ちょっと無理があるなー。

バラモン教という大河は途絶えることなく、ウパニシャッドという支流、刺激の強かった沙門運動の支流、シヴァ信仰やヴィシュヌ信仰という支流、民間信仰や地方神信仰という支流、さらには六派哲学という思想的支流まで飲み込み、少しずつ姿を変えて、より大きな大河になった。それが、現在「ヒンドゥー教」と呼ばれる宗教世界となったようだ。

今回は、描いた地図上に、バラモン教という大河に流れこんだ支流(結構おおきな支流も多いが)を見てきた。

インド宗教、支流の合流が多い。

次回はバラモン教がどのようにシヴァ派・ヴィシュヌ派、地方信仰などを取り込み、最終的にヒンドゥー教徒なっていったのかを見てみよう。

コメント