15-8-4-1 中観の革命(1)法まで空にする

中観の革命(1)空 仏教とインド哲学
中観の革命(1)空

ここまで見てきたように、部派仏教は「無我」を守りながら、輪廻や因果を説明しようと努力してきた。

説一切有部は「法」の実在を認めた。
経量部は「種子」と「流れ」を考えた。
どちらも無我を守ろうとした真剣な試みだった(と思う)。

それに対して極めて鋭い批判を加えた人物が現れる。
ナーガールジュナ(龍樹)である。
彼は後に中観派の祖と呼ばれ、「空」の思想を体系化した。

ナーガールジュナの目的は、仏教内部に入り込んできた実体化傾向を取り除くことだったと思われる。

ブッダは「無我」を説いた。
ところが、無我を説明しようとする過程で、「法」や「種子」が次第に実体のように扱われ始めていた。
ナーガールジュナは、そのことに強い危機感を抱いたのではないだろうか。
彼の「空」思想は、むしろブッダの無我思想を守るための徹底した実体批判だったのかもしれない。


「法」は本当に実在するのか

まずナーガールジュナが批判したのは、説一切有部の「法」の存在だった。
説一切有部は、
「人間は仮の存在だが、それを構成する法は実在する」
と考えた。

しかしナーガールジュナは、
「それは本当に仏教の立場なのか」
と考えたのではないだろうか。

彼によれば、実在とは自性(じしょう)を持つものだ。
自性とは、他に依存せず、それ自体で成立し、固定的に存在する本質だ。

しかし仏教の縁起思想は、
「あらゆるものが他との関係によって成立する」
という考え方だった。

そうであるなら、縁起するものに自性はあり得ない。
つまり、
実体としての「法」も存在しない。
これがナーガールジュナの結論だった。


因果が成立するのはなぜか

ここで議論はさらに面白くなる。
(いや、複雑怪奇になる!)

説一切有部は、
「法が実在するから因果が成立する」
という。
ところがナーガールジュナは、
「もし本当に固定的な実体が存在するなら、それは変化できないはずだ」
「変化できないものは原因にも結果にもなれない」
「他のものに作用することもできない」
固定実体を認めると、因果を説明できなくなる、というのである。

なんかもっともに思える。鋭い!

説一切有部は「実在があるから因果が成立する」と考えた。
しかしナーガールジュナは「固定実体がないからこそ因果が成立する」と言う。
同じ問題に対して、ほとんど正反対の答えを出している。

ほんと、聞いてる方はたまったものでない!


三世実有への批判

ナーガールジュナはさらに、説一切有部の三世実有説も批判する。

説一切有部は、
「過去・現在・未来の法はすべて存在する」
と考えた。

しかしナーガールジュナは問う。
「もし過去が本当に存在するなら、なぜそれを過去と呼ぶのか」
「もし未来が存在するなら、なぜそれを未来と呼ぶのか」
「もし過去・現在・未来が同じように存在するなら、時間変化そのものが失われてしまう」

さらに言えば、
「無常も成立しなくなる」

非常に鋭い。

説一切有部側にも言い分はあっただろう。

しかし、ナーガールジュナは、一歩も譲らない。

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