1-2 釈迦の悟り

学んだ仏教

苦行の末、釈迦はひらめく。

「こんな苦行ばかりしていても悟りは開けない」

「中道が必要だ」

修行でボロボロになった身体を清めるためナイランジャナー川で沐浴をする。その時、やつれ果てた釈迦にむら娘スジャータが乳粥を差し出す。釈迦は体力を回復し新たなステージに赴く。近隣の森の大きな菩提樹の下で瞑想し、遂に悟りを得るが、その過程では、色々あったようだ。

有名なのは「降魔」。瞑想する釈迦に色々な悪魔がやってきて、彼をそそのかします。悪魔とは多くの煩悩だ。彼はこれを振り切り、悟る。それは、現在のブッダガヤにある金剛座(Fig.2)で、旧暦の12月8日と言われている。

これもよく書かれていることだが、仏陀(=ブッダ)とは目覚めた人という意味である。サンスクリット語の動詞語根√budh(目覚める)から作られた過去受動分詞buddhaを漢字で音写(発音を漢字に直す)した言葉だ。

ついに悟りを開いたブッダであるが、「私が得た悟りは、難しくて、説明しても他の人には分からない」と思って、自分だけで「悟り」を楽しんだ。これを「自受法楽」と言う。ここで終わっていたら、仏教は生まれなかった。

ここに梵天が出てくる。梵天はブラフマーと言って、ヒンドゥー教のえらい神様で、宇宙創造を司る。この他教の偉い神様が出てきて、みんな(衆生[1])のために、あなたが悟った真理を説いてくれるようにブッダを説得する。2回ほど拒否したのだが、3回目には引き受ける。この梵天のお願いを「梵天勧請」と言う。


[1] 命ある全てのもの。基本的には迷いの世界にある生類を指す。この後もよく出てくる。

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