I] 初期仏教

初期仏教

初期仏教とは、釈迦が生まれてから死ぬまで、さらに釈迦の教えがそのまま引き継がれた時代の仏教をいう。仏教の教えは、時代とともにどんどん進化・発展し、精緻な理論へと、また新たは行法(修行方法)へと進んでいくのだが、釈迦が説法したと言われる教えに原型は見出すことができる。ここでは、釈迦の悟りまでの過程と釈迦が説教した教えについて、述べてみよう。

1) 釈迦の一生

1-1出家

まずは、仏教を開いた釈迦について書いておこう。これはどの仏教入門書にも書いてあるが、やはり書こう。彼は実在の人物であり、釈迦族の王子として紀元5〜6世紀、伝承として一般的には、紀元前463年(別説で紀元前383年もある)の4月8日に生まれたといわれている。俗名をゴータマ・シッダールタ言われた。父は浄飯王(Śuddhodana)、母は摩耶(Māyā)である。何不自由なく暮らし、結婚して子供も儲けている。ある時、王子は城外に出て街の人々の暮らしを見た。そこには、生まれ、年老いている人、病気の人、そして死ぬ人もいた。これを見た釈迦は、これは大変だと感じたそうだ。すなわち、「生老病死」は「苦」であると思った。ここでいう「苦」とは「自分ではどうしようもないこと」と理解するのが、一般の常識であるようだが、ともかく、釈迦は悩みに悩んで、29歳の時に妻も子供も捨てて、出家してしまう!

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Fig.1.

街で老人、病人、死人を見て、「苦」(自分ではどうしようもないこと)だと感じる。老人、病人、死人はどこにでもいる。何で、急に「苦」だと感じたのか。街に出るまでは会ったこともなかったのか。

突然の出家。これって、今の常識からすると、「妻子いるのに、自分のことだけ考えて、身勝手じゃない。非難轟々だよ!」となるような気がする。でも、ここで釈迦が妻子を捨てて、出家しなかったら、仏教は生まれてこなかった。
「英雄の非合理は許される!」
まあ、それに価値観て、時代によって大きく変化するしね〜。

出家した釈迦は、5人の仲間と苦行を重ね、悟りを開こうとする。どんな苦しい修行だったのかを示すようや銅像がある[Fig.1]。窪んだ目、体は骨と皮だけである。とっても頑張っていたのはよく分かる。しかしそれでも、悟りは開けない。とっても困ったと思う。

コメント:大変な苦行である。それに徹するには、覚悟と精神力と社会的な生産活動の放棄が必要となる。自分自身の食い扶持すら捻出することはできないだろう。修行者といえでも、生きていくなら最低限の食事は必要となる。森で草木や木の実を得るか、みんなにすがって生きていくしかない。
社会で生きていくなら、健全な肉体を持っているのなら、今の常識で言えば、こんなのクソ野郎だ!自分で働け!となるだろう。でも、聖職者とはそういうものなのだ!
ここまでの修行をすれば、みんなの尊敬を集める。なんであれ、限界を越えることをすると、尊敬されるようだ!
この「尊敬」て、なんだろう?

1-2 釈迦の悟り

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Fig.2.
苦行の末、釈迦はひらめく。

「こんな苦行ばかりしていても悟りは開けない」

「中道が必要だ」

修行でボロボロになった身体を清めるためナイランジャナー川で沐浴をする。その時、やつれ果てた釈迦にむら娘スジャータが乳粥を差し出す。釈迦は体力を回復し新たなステージに赴く。近隣の森の大きな菩提樹の下で瞑想し、遂に悟りを得るが、その過程では、色々あったようだ。

有名なのは「降魔」。瞑想する釈迦に色々な悪魔がやってきて、彼をそそのかします。悪魔とは多くの煩悩だ。彼はこれを振り切り、悟る。それは、現在のブッダガヤにある金剛座(Fig.2)で、旧暦の12月8日と言われている。

これもよく書かれていることだが、仏陀(=ブッダ)とは目覚めた人という意味である。サンスクリット語の動詞語根√budh(目覚める)から作られた過去受動分詞buddhaを漢字で音写(発音を漢字に直す)した言葉だ。

ついに悟りを開いたブッダであるが、「私が得た悟りは、難しくて、説明しても他の人には分からない」と思って、自分だけで「悟り」を楽しんだ。これを「自受法楽」と言う。ここで終わっていたら、仏教は生まれなかった。

コメント:もともと釈迦は、自分が「苦」から逃れたいと思っていたから、何も他人に悟りを広める必要はない。でも、少々身勝手なような気もする。

ここに梵天が出てくる。梵天はブラフマーと言って、ヒンドゥー教のえらい神様で、宇宙創造を司る。この他教の偉い神様が出てきて、みんな(衆生[1])のために、あなたが悟った真理を説いてくれるようにブッダを説得する。2回ほど拒否したのだが、3回目には引き受ける。この梵天のお願いを「梵天勧請」と言う。

コメント:ちょっと考えると、これっておかしな話のような気がする。他宗教であるなら、信者が仏教に取られて、減ってしまうかもしれない。きっとこれは、「他宗の神様が認めるほど素晴らしい教えなのだ」という、後からできた仏教の「権威付け」のような気がするが、真偽はもちろん不明だ。

1-3 初転法輪

初めてのブッダの説法はサールナートで、以前の苦行仲間の5名に対して行われた。初転法輪と言って有名な話である。しかし、この5名は、ブッダは苦行を捨てた裏切ものだと思っていたようだが、ブッダの堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、迎え入れた。そして、ブッダは最初の説法をなした。このとき説かれた教えは、四諦[2]と八聖道[3]と中道[4]と言われている。

コメント:同じように苦しい修行をしていた仲間が抜けると、なんか裏切られたような気持ちになって、反発したと思われる。釈迦はみんなに、苦行を辞めることを告げなかったのだろうか。ともかくも、会った瞬間に彼(ブッダ)が悟っているのが彼らにはわかった。

コメント:これと逆に、異教徒ウパカとの遭遇の話がある。高野山大学のD先生が好きな話である。初転法輪の直前で、ウパカは悟ったブッダとすれ違う。その時、ブッダは「私は悟った」と言い、ウパカもそう感じるが、「あ、そうですか」と素っ気なく立ち去ったそうだ。まあ、興味のない人、分からない人にとってはそんなものだ。我々もそのような経験をよくする。いくら素晴らしいものでも、興味がない人、分かってない人にとっては、「あ、そうですか」、「それで、、、?」となる。
ブッダに会って、すぐに「悟った人」と見抜いた5人の昔の仲間は、「それを見抜ける人」だったことになる。受け取る側にも、それなりの興味とレベルが必要だということだろうか、、、。別の解釈もあるのだが。

その後、ブッダは80歳の時、クシナガラで2月15日に入滅する(すでに悟っているので、彼の「死」は涅槃に行くことを意味しており、2度とは輪廻しない「死」である)。ブッダが悟った境地を「涅槃」、ブッダの入滅を「大般涅槃」と呼んでいる。

釈迦の一生が八つの場面にまとめられ、八相成道として伝わっている。そこには、釈迦は生前には兜率天に住んでいたとか、母マーヤの右脇から胎内に入ったとか、右脇から生まれたとか、誕生直後に七歩歩いて、「天上天下唯我独尊」と言ったなどと伝えられている。

コメント:ブッダが偉大なのは、誰もが認めるところだろう。ただ、この手の奇跡的な話は多い。ブッダを偉大だと考えるあまり、多くの逸話が付け加えられたと考えられる。現代の常識として知る科学的な知識からは、誰も信用できないだろうが、宗教では、このような神秘性は必要なのだ。奇跡を見た時、人は畏敬の念を抱くようになる!


[1] 命ある全てのもの。基本的には迷いの世界にある生類を指す。この後もよく出てくる。

[2] 苦諦、集諦、滅諦、道諦とされる。苦諦と集諦は、迷妄の世界の果と因を示す。滅諦と道諦は、証悟の世界の果と因とを示すと言われるが、これでは分からないので、後で詳細する。

[3] 正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定とされるが、悟りへの道筋を説いたものとされる。後に詳細する。

[4] 極端に走るのではなく、その中庸が大事と解されるが、もう少し進んで、二つのものの中間ではなく、二つのものの矛盾対立を超えることを意味する。

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