1-3 初転法輪

初めてのブッダの説法はサールナートで、以前の苦行仲間の5名に対して行われた。初転法輪と言って有名な話である。しかし、この5名は、ブッダは苦行を捨てた裏切ものだと思っていたようだが、ブッダの堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、迎え入れた。そして、ブッダは最初の説法をなした。このとき説かれた教えは、四諦[1]と八聖道[2]と中道[3]と言われている。

コメント:同じように苦しい修行をしていた仲間が抜けると、なんか裏切られたような気持ちになって、反発したと思われる。釈迦はみんなに、苦行を辞めることを告げなかったのだろうか。ともかくも、会った瞬間に彼(ブッダ)が悟っているのが彼らにはわかった。

ブッダに会って、すぐに「悟った人」と見抜いた5人の昔の仲間は、「それを見抜ける人」だったことになる。受け取る側にも、それなりの興味とレベルが必要だということだろうか、、、。別の解釈もあるのだが。

その後、ブッダは80歳の時、クシナガラで2月15日に入滅する(すでに悟っているので、彼の「死」は涅槃に行くことを意味しており、2度とは輪廻しない「死」である)。ブッダが悟った境地を「涅槃」、ブッダの入滅を「大般涅槃」と呼んでいる。

釈迦の一生が八つの場面にまとめられ、八相成道として伝わっている。そこには、釈迦は生前には兜率天に住んでいたとか、母マーヤの右脇から胎内に入ったとか、右脇から生まれたとか、誕生直後に七歩歩いて、「天上天下唯我独尊」と言ったなどと伝えられている。

コメント:ブッダが偉大なのは、誰もが認めるところだろう。ただ、この手の奇跡的な話は多い。ブッダを偉大だと考えるあまり、多くの逸話が付け加えられたと考えられる。現代の常識として知る科学的な知識からは、誰も信用できないだろうが、宗教では、このような神秘性は必要なのだ。奇跡を見た時、人は畏敬の念を抱くようになる!


[1] 苦諦、集諦、滅諦、道諦とされる。苦諦と集諦は、迷妄の世界の果と因を示す。滅諦と道諦は、証悟の世界の果と因とを示すと言われるが、これでは分からないので、後で詳細する。

[2] 正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定とされるが、悟りへの道筋を説いたものとされる。後に詳細する。

[3] 極端に走るのではなく、その中庸が大事と解されるが、もう少し進んで、二つのものの中間ではなく、二つのものの矛盾対立を超えることを意味する。

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